研医会通信  21号  2008.3.7
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このホームページでは、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は『麻嶋灌頂小鏡之巻』です。

 

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麻嶋灌頂小鏡之巻

 

 

 室町から江戸時代にかけて実地医学の勃興とともに眼科においても一流一派をなす諸流派が分立した、中でも馬嶋流眼科はその名声を最も広めた流派として、わが国眼科の発達史上かかすことのできない存在である。
 馬嶋流限科については既に諸先輩の詳細な研究が行なわれ、 よく知られている。
 その起りは延文2年(1357)に医王山薬師寺(寛永9年明眼院の名称を賜る)が馬嶋清眼僧都(-1379)によって再興され、この中興の祖といわれる清眼僧都がその坊頭に就き、そこで眼病治療(祈祷・祈願とともに)を始めたという。もっとも小川剣三郎編『稿本日本眼科年表』によると、朱雀天皇天慶元年(938)の条に「尾張国馬嶋薬師寺の宗慈坊(後に大智坊と改む)天慶の頃より眼科を創む』とあり、平安朝時代から眼の療治らしいものが始められていたのかも知れない。そこでこの寺の塔頭(子院)が増すたびに馬嶋流の分流もふえたものと考えられ、天正9年7月1日、尾州犬山之住、若狭相伝(花押)林活としるす写本、「麻嶋灌頂小鏡之巻|によると麻嶋流には高田流、 祖忠流、 記香房流、 圓形房流、清源流の五流と、 惣持坊、 大智坊、玉泉坊、 相寺坊、対馬坊の五家があったと記されている。

『麻嶋灌頂小鏡之巻』は系統的には五流五家の子の中、清源流大智坊に属する秘伝書といわれている。しかし、いわゆる馬嶋流眼科を伝える写本には幾通りもあり、例えば馬嶋の"ま"の字にしても、馬、麻、摩、間、真、満 等、流派系統の別称というより、師弟門人の間で行なわれた秘伝の授受、一子相伝として、書写伝承する際、適宜に当て字を使用したものと思われ、その正しい分流系統、名称もなお、判然としない点が多い。したがって
『麻嶋灌頂小鏡之巻』にもいろいろの写本が作成され、その部分的、例えば内障の部分、養生の計;分、あるいは薬のこと等、その一部を書写して、それに灌頂之巻として書名風に附した例が少なくない。いわゆる決定版的なものは見当らない。

 灌頂とは辞書によると「密教にて結縁等のとき、頂に香水を灌ぐ儀式、初めて仏道に入る時、頭に香水をそそぎかくること|とあり、その意味から『灌頂小鏡之巻』
は人間の巻とも解され、麻嶋流の入門書としてその秘伝書に付けられた名称と思われる。

『麻嶋灌頂小鏡之巻』の内容はそれぞれの写本によって多少の差異はあるがおよそ次の様な項目について記述されている。

 五輪八廓説に基づく疾病理論、 五輪所属図、薬種、その功能および用い方、眼目養性之次第(眼病図入)、七種の内障(そこひ)絵図。

 この様に『麻嶋灌頂小鏡之巻』は尾州三木本麻嶋真寺坊、尾州犬山麻嶋若狭守林活、三州宝来寺薬師如来等諸所に相伝された麻嶋流眼科の奥儀を著したものであるが、 もとより中国(宗代以降)から伝来の眼科書に基づき、清眼大僧都が眼の療治に直接役立つ最も重要な部分のみを選述し、秘伝としている。この秘伝書には相伝の年代や相伝者、被相伝者により、漢文、和文、和漢文などの写本が作成された。また、秘伝書故に刊本がみられないことも特徴の一つであり、それぞれの文末に"口伝有"としるされているところは今日の医書とはおよそ感覚を異にする点である。

 今日伝えられる麻嶋流秘伝書としては文治5年(1185)4月28日の書写年代入のものが最も古いようである。以下筆者の手許にある麻嶋流眼科秘伝書を列挙する。

麻嶋灌頂小鏡眼病口伝書(天保7年(1835)写)
麻嶋灌頂小鏡之書(江戸時代写)
麻嶋灌頂小鏡之巻(慶長12年(1607))
麻嶋流灌頂及小鏡之巻(江戸時代写)
麻嶋灌頂小鏡一紙(享保19年(1734))
麻嶋流限科「1伝抄(延宝6年(1678))
麻嶋流眼科秘伝書(文治5年(1189))
麻嶋眼療秘録(文化元年(1804)
麻嶋清源流眼伝(江戸時代〔寛永元年〕伝写)
麻嶋流眼科書(江戸時代〔慶長9年〕伝写)
麻嶋流眼科日伝秘書(江戸時代〔延宝6年〕伝写)
麻嶋流秘伝(享保12年写相伝)
麻嶋若狭守眼病療治書(寛文7年(1667)写)
麻嶋若狭守清源伝(寛政10年(1798)写)
麻嶋流眼科秘偉書(江戸時代、写)

 


主な参考文献

1)
小川剣三郎:稿本日本眼科学史 P47、吐鳳堂、東京、1904.
2)
富士川游:日本医学史.p.162、 日新書院、東京、 1943.
3)
福島義一: 日本眼科史. 日本眼科全書、 第1巻、 第1 分冊、p.58、 金原出版、 東京、1954.
4)
河本重次郎:日本眼科の山来及日本に於ける蘭学の本源につき.日眼、4:184、1900.
5)
石原 明:医史学概説 p173、 医学書院、 東京、1955.
6)
小川剣三郎: 稿本日本眼科年表.1929、写.
7)
.富士川游: 日本眼科略史.10、私立奨進医会、東京、1899.
8)
服部敏良:室I町安土桃山時代医学史の研究p.290、 吉川弘文館、東京、1971
9)
野田 昌:馬島流眼科と明眼院<大治町史資料編第2集>>大治町役場、愛知、1976
10)
美術文化史研究会:びぞん通信 NO.8、January1971. 名古屋 1970)
11)
千葉保次:馬島明眼生をたずねて、日本の眼科63: 14、 1967
12)
中泉行正:明治前日本眼科史p.261(明治前日本医学史.4) 日本学術振興会、 東京1964.
13)
中泉行正:古医書をたずねて。<銀海No.64〜No 77>、P132、千寿製薬、大阪、1978



*表示できない文字、あるいは不明な文字を○で置き換えております。ご了承ください。

 

(1980年10月 中泉、中泉、齋藤)

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