研医会通信  28号 テキスト版  2008.9.5
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このホームページでは、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は『眼目精要』『眼科医療手引草』と『医療羅合』(2)です。

財団法人研医会図書館 利用案内

研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。

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『眼目精要』『眼科医療手引草』と『医療羅合』(2)

 

 

 『眼目精要』と『眼科医療手引草』との関係については昭和5年(1930)に小川剣三郎博士が中外医事新報(No.1166 P.571) に詳細な研究発表をされているので、 ここには『眼目精要』と『眼科医療手引草』の出版書誌事項の主な相違点を挙げる。

  (1) 外題箋"眼目精要"の代りに"眼科医療手引草"とした。
  (2) 両者の巻尾に附された後書きの文面で、"眼目精要"の代りに"眼目之書"とし"3巻の代りに1巻"とした。
  (3) 『眼目精要、 日』の巻頭にある"眼目精要 日"が『眼科医療手引草』の同処から削除されている。
  (4) 『眼目精要、 月』の巻頭にある"眼目精要月、藤井○(己の下が口)求子見隆 纂輯 長岡恭齋丹堂校正" が『眼科医療手引草』の同処から削除されている。
  (5) 『眼目精要、 星』の本文第1頁の"藤井○(己の下が口)求子見隆纂韓 長岡恭齋丹堂技正" の文字が『眼科医療手引草』同頁に当るところより削除されている。
  (6) 『眼目精要』の目録第1頁には"眼目精要目録 月"とあるが『眼科医療手引草』の同処に当る処には"眼目要目録 月"が削除されて、その代りに"目の見やうの相博"となっている。

 以上は享保11年、めと木屋勘兵衛版の『医療羅合』眼目精要 日月星、『医療羅合』眼目、 日月星 の2種と書林吉文字屋市兵衛蔵版(刊記不詳)の『眼科医療手引草』との比較である。

 『眼科医療手引草』には流布本として、 吉文字屋市兵衛版 天明4年(1784) 改版 (同版で刊記のないもの2種ある)、河内屋嘉七版(刊記不詳)、藤井政武 (慎齋) 編 長岡恭齋 校 文化14年 (1817) 版 (3巻1冊)、 藤井見隆*編 文政6年 (1823) 版 (上中下) 等々がある。

 このように『眼目精要』は、総合治療全書ともいえる『医療羅合』とともに藤井見隆纂輯、 長岡恭齋校正により、享保11年に刊行された眼科専門書である。その後、その内容を変えずに、一部文字の入替を行って出版されたものが『眼科医療手引草』である。わが国の眼科専門書刊行の第1書といわれる『眼目明鑑』に次いで刊行された眼科専門書である。また本書の刊行は、秘伝書の書写本から刊本化を促し、従来の眼科諸流派の秘方主義を打破する糸口となった。


参考文献

1) 小川剣三郎 眼科医療手引草は眼目精要の改題せるものなり。中外医事新報No.1166、p.571.日本医史学会、 東京、1930.
2) 小川剣三郎 稿本日本眼科小史、90、吐鳳堂、東京、1904.
3) 日本学士院 明治前日本医学史4、日本眼科史、267-268、 日本学術振興会、 東京、1964.
4) 福島義― ・山賀 勇 日本眼科全書、 1、 82、86-88、金原出版、 東京、1954.
5) 藤井見隆 ・長岡恭斎(校正) 医療羅合. めと木屋勘兵衛開版、 事保11(1726).
6) 藤井見隆 ・長岡恭齋(校正) 眼科医療手引草. 江戸刊
7) 富士川游 日本医学史、318、 日新書院、東京、1943.:

8)

富士川游 ・小川鼎三(校注) 日本医学史綱要(1)、145、平几社、東京、1974.

 

* 藤井見隆〔藤元玄元〕: 称 見隆、 号 慎斎、 ○(己の下が口)求子、政武、 京都人、(〜 宝暦9 年2 月12日、71歳歿) 。著書、 医療羅合、 幼科発揮、 眼目精要、医療羅合小児、 難病方彙、 秘苑要術、 智慧海( 新続拾玉増補共) 。

 

 

(1981年 4月 中泉、中泉、齋藤)

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