研医会通信  39 2009.8.7

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このホームページでは、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は [眼科諸流派の秘伝書(5)]

 『眼目秘伝書仙人流』 と 『眼病一伝』 です。

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眼科諸流派の秘伝書(5)

『眼目秘伝書仙人流』 ・ 『眼病一伝』 

 

10. 眼目秘伝書仙人流


 江戸時代の眼科諸流派は中国明代の眼科を基礎としながらも自己の経験や体験をいかしていろいろと創意工夫した。また、彼らはわずかに他と異なる治療法や薬方を考案すると、それを看板に一流一派を樹て、何々流と自称し互に門戸を張っていたものが常であるが、中には他の流派の治療術等良い所を採り入れて一つの門派を興したものもある。仙人流はそうした他流派抜粋型の一流派ということができよう。

 仙人流の眼科を伝えるものに『眼目秘伝書仙人流』という秘伝書がある。その初葉に「此一巻ノ書ハ目嶋、家里、山岡、清源其外諸流ノ抜書也」とあり、仙人流はそれら諸流派の優れている点を抜粋して一書となし、仙人流の秘伝書としたものと考えられる。

 ここに目嶋といわれるのは馬嶋(間、麻、眞) 流のことと思われ、家里は伊賀国の家里を指し、山岡は近江国勢田(現瀬田)の山岡流を示しているものと思われる。

 この秘伝書は寛永初年頃の写本と見受けられるが、当時、馬嶋流、家里流は相当世に知られた眼科であったといわれ、 また、近江国勢田の山岡流もかなり名の通った眼科流派の一つであった模様である。この山岡流については筆者はまだよく調べてないが、手許の資料中に『眼病秘伝書』(夢想流、南蛮流等の目薬の薬性論および処方を集めたもの)なる写本があるが、その"目薬一流" なる項には「これは江州勢田(多)山岡美作守直相伝也」とあり、山岡流の祖は山岡美作なる人とも考えられる。

 この仙人流の『眼目秘伝書』は寛永2年(1625)5月1日、塩川加賀守勝家が仙人流の秘伝書として相伝したもので、 この秘伝書の療治法は仙人流の極意であり、 この1巻の書にて眼病養生のできないことはない、 したがって、この秘伝書は極秘のものである故、主君、親子兄弟といえども他見他言は許されず秘密の一書である、 という意味の相伝識が書かれている。

 この写本は墨付およそ40葉、横長、片仮名交り和文の全1冊よ'りなるものであるが、その内容は、前述の様に、 目嶋、家里、山岡、清源その他眼科諸流派の善をとり、悪を捨てた抜書であり、五臓五輪の説、石薬の能、同製法のこと、図入眼疾療治の次第、薬調合の次第、指薬掛薬の次第、灸治のこと等について述べられている。この中、"薬調合之次第"の項をみると、仙人流の秘伝薬として"日明湯" が挙げられ、「これは血日、上ヒ、目瘡、星氣萬物、其外血を引き、熱気の日に用いて吉」としている。また、外障内障に用いられる水薬として以下のように述べている。
「栃、帽、格、丹碁、磨、尾、卑麻子、大権等7味の薬を17両2分の水の中に入れて7日間つけて置き、その後内障外障に鳥の羽にて3シゾク程宛掛けて、その後、掛薬指薬を用いよ、養生は朝と昼と晩の3度同じ水薬を掛けて、次に掛薬、その次に指薬また、水薬をかけて養生せよ、内障は光がとまり、 3年、 4年または5年までも心掛れば必ずよくなるもの多し。この方は山岡流の秘伝である」と内障外障の療法を記述している。

 このように仙人流においては熱金、温金の方は採り入れられているが、「内障ノ針ハ外也」とのべられているごとく、主に諸流の薬方を採用して薬治療法を行っていたものと思われる。内障(青、赤、黄、黒、自、石、血)の手術(道具による)については詳しい記述がない。したがって手術療法はあまり行われなかったのではなかろうか。あるいは、各項の文末には、"口伝有可秘也"と結ばれているので、口伝の形で門下のものに伝えられたのかもしれない。つまりこの秘伝書は江戸期、寛永、正保頃の仙人流眼科の秘伝書として今日に伝えられたもので、 これによってその一端を窺い知ることができる。

 

 

11. 眼病一伝


 この秘伝書は「ソレ眼目者五臓之清明一生之宝也。天二如有日月、五臓六腑之熱氣者皆眼集也……」という書出しの、いわゆる五輪所属論より始まる中国(明代)の眼科を基に眼病治療法を書きとめたもので、およそ30葉全1冊、片仮名交りの和文で平易に書かれている。

 この秘伝書の相伝者および被伝者は何人か明らかでないが、文末に『此方一国ニー人ヨリ外二口伝不可有也。元禄十六載癸末十月吉日 此度伝受仕。享保十一載丙午七月写之』とあり、 この写本は元禄16年(1703)に成立し、享保11年(1726)に伝受されたことがわかる。

 本書の内容はその主な見出項目を挙げると五輪所属論に続いて五輪所属の図、爛目等46種(絵入)の眼病治療法、水薬、蒸薬、洗薬、練薬の加減の次第、内障のこと、内外薬のこと、 目の温寒見様のこと、忌禁のこと、石薬拵様のこと、薬種拵様のこと、石薬能拵次第、代薬のこと、薬種能のこと、五木八草のこと等について記述したものである。

 この秘伝書では所載の47種の絵入眼病中、内、外薬にて治るものと、治らぬ眼病をはっきり示している。即ち全く治らぬ眼病として内障(ソコヒ)、モカサ、簾膜(スダレマケ)、石内障(イシソコヒ)、血内障(チソコヒ)、赤内障(アカソコヒ)、黄内障(キソコヒ) これらの眼病は全く治療が不可能なのか、治療法の説明が全然記述されていない。また、薬物と針を併用して治るものとして次の記述がある。

  青内障(アヲソコヒ)
  アカリトマリテ三載シテハ針ニテナヲル三載スギテハナヲラズ、針ノ立ヤウハ白内障卜同様ナリ、但シ見立肝要也。
  黒内障(クロソコヒ)
  煩ツキヨリ十五日ノ内者ナヲル、十五日スギテハナヲラズ、初者水薬、後二ハ代赭散ニテヨシ
  白内障(シロソコヒ)
  内薬者書物二有り、見エトマリタル載ヨリ三載スギ七載ノ間二針ニテナヲル、針立十一ロニシテ見ニマダモウミ有バ又立十一ロシテノチニ七八本立也、眼ノシンニサエアクラネバ必見エルナリ。

  
 また、 この秘伝書の"代薬の事"の項には、龍脳ノ代二樟脳ヲヤキカヘス、虎膽ノ代二虎肉ヲ皮去其儘、明礬ノ代二石膏、人参ノ代二葛根、辰砂ノ代二麒麟血、等々数多くの代薬についても記述していることから、薬物の応用が盛んであったことを示している。

 この様にこの秘伝書は治療によって治る眼病と治らぬものがあることを明示している点が他の流派と異なっている様に思われる。内障は"ナヲラズ"としているように当時如何にその治療が難しくその療法は至難の技であったことがうかがわれる。

 

 

(1982年 3月 中泉、中泉、齋藤)

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