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今回は 眼科諸流派の秘伝書(11)下

『麻嶋灌頂小鏡―紙』です。

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眼科諸流派の秘伝書(11)下

『麻嶋灌頂小鏡―紙

 ここに挙げられている日本四家の眼科、尾張、美濃、筑前 信濃といわれるのは、文政の頃、盛大な門戸を張っていたといわれる馬嶋、麻嶋、田原、諏訪竹内各流派を指したものであろうか。本書には馬嶋伝、麻嶋伝、竜樹伝、竜目伝、柴田伝、清眼伝、仙人伝、麻嶋浄安、小池玄仙、麻嶋巨清、諏訪伝、天竺霊鷲山伝方、明術伝、江州麻嶋伝、多喜田秘方等の名の秘方がのべられている。"例えば草膜"について

 竜樹伝日、「草膜ハ肝ノ臓虚シテ肺ノ臓肝乗シテ、黒眼二白膜フ生テ春夏秋冬発テ……又日、白眼二穴アキテ膿ノ出ル事有足フ白草卜云ナリ」

 柴円伝日、「草膜卜云ハ鳥ノ羽ノ如1ク高ク霞二見エル也、春秋必病モノ也、発スルトキハ白ク成也、是フ白膜トモ云……」

 麻嶋伝日、「草膜卜云ハ頬先マテ爛泪多有玉ノ内濁り霞ノ内ノ者ヲ見コトク也、則刀ヲアテテ血ヲ取り蒸薬ニテサイサイムシ指薬ニハ珠散、内薬ニハ補眼圓 口伝」

 また、草膜に対する薬物処方も各流派によって多少の差がみられ、各流派の特色を顕わしている。

 また、内障に対する各流派の見方も異なり、その種類も、黒内障、青内障、黄内障、白内障、赤内障、石内障、血内障等は従来の馬嶋流などの秘伝書に挙げられているものであるが、本書にはこの他、肉内障、倍内障、測内障、鬼内障、老内障等が加えられ、その病症を次のごとく述べている。

「肉内障ハ白晴綿ヲ朱二染タルヤウニ引掛ルナリ、 黒晴ハ肉ニヲサレテ底二見ユルナリ、見高ハ物見ユル、初少蝿ナトノヨウナルモノ見エテ大事ナリ、是ハ薬種口伝書二有り、血ヲ取ル事モアリ。倍内障ハヤク療スレバ治事有久シケレハ不治、人見ノ内二粟ツブノロトク成り白キ物有り、針フ立二口伝アリ、針ハヲトシ針卜云物二立ルナリ、 トニク計二針ヲシテ目ノ内工入レハ白キ物ウスルナリ、針ハ五度ナリ。測内障卜云ハヲサナキ時○(やまいだれに耳の横棒が一本少ないもの)有ヲ治セス、灸モセスシテクヲキタル人此目之病有、人見ホソク三文字ニ目之前後二雲ノコトキ物有、他流ニハ是ヲ白ヒト云、少モ手ヲツケス、大事ノ眼ナリ、是ヲ知ル医者稀ナリ。鬼内障卜云ハ黒目ノ内人見ノ内アミダノ光ノコトク成物イクツモ有、是ハ肺ノ臓ヨリ発ル目ナリ、人見ノ内ハ清ク見エテ光多クシテアカリ少ハ有コトアレ共治ル事ナシ仏神ニイマシメラレタル成ヘシイン火ノ眼ナリ療治ノ分ニヲイテハユメユメ叶フベカラスロ伝。老内障卜云ハ心之臓ヨリ発ス黒眼人見能目ノコトクナレドモ白眼之内黄色ニナルナリ、是ハ母ノ胎内ニテ毒ヲ喰、又ハ生血フ呑ミタル者カクノ如シ、血ハ腎ノ臓ヨリ通シテ陰陽コツハクシテ此病必手ヲツクスベカラス無治法ヨクヨク心ヲツクスベシロ伝」

 このように内障眼一つをとってみても、その病因を極め、精しい観察によってそれぞれの病症を丹念に記述している。

 こうした秘伝の原は何に拠ったのであろうか。筆者の手許に「麻嶋灌頂小鏡一紙」(80葉、全1冊)なる古写本(巻上中下)があるが、その内容が「眼科玉明秘録」の内容とほぼ同文の個処もある。その目録のみを比較のため挙げると

眼目療治之論 針治之事、
巻上:  外障:  病目、陽永膜、弩肉、珎観膜、痘瘡目、唐瘡眼、 目草ビラ、接目、拳毛倒睫、簾膜、羽翳膜、爛目、打目、切疵、血之道頭痛、風眼

巻中:  中障:  中風(風毒眼)、藤膜、○(ノ+虫)膜、峯雲膜、月輪、岩○(ヨの真ん中が長いものの下に大)、 フト膜、 トチ膜、縛膜、草膜、白膜筋、 目積膜、目蛭

巻下:  内障:  青内障、黄内障、白内障、赤内障、黒内障、石内障、測内障、倍内障、鬼内障、老内障、丁目、
小児○(やまいだれに耳の横棒が一本少ないもの)目、鳥目、虚眼、老眼、黒目爛

内障二針ヲ立ル次第
万目下之方并諸方雑記
薬種能毒論
代薬之事

 以上の通りである。この『麻嶋灌頂小鏡一紙』には享保19甲寅歳冬11月23日付の末松道宦の序があり、その附記された目伝秘方系図に以下のように記されている

 大日本 平安 紫野大督寺ヨリ、江州高嶋郡之内新○(やまいだれに生)多朝甚兵衛入道授之即麻嶋入道浄安也―神餘人道巨清之受
之―秀悦授之―金子孫太郎殿授之一尾州太君 尾張大納言様

 眼療一家秘書不許他見即諏訪玄仙光防被召出諸国名高聞此即予家眼療秘密之系図也努々不許他見誰授一子耳

 高祖末松氏尾州織田信長公之臣下也、今庄内而號末松道宦智居

この目伝秘方系図から考察すると『眼科玉明秘録』の識が末松道隆であり、『麻嶋灌頂小鏡一紙』の相伝者が末松道宦であるところより年代的にみて末松道隆の『限科玉明秘録』は末松道宦の『麻嶋灌頂小鏡―紙』を仝面的に採り入れたものと思われる。 したがって『眼科玉明秘録』は文政年代の麻嶋流眼科を骨組に美濃、信濃、筑前須恵の眼科名家の秘方を広く集めて秘録としたものであるといえる)

 このように『眼科玉明秘録』は一流派だけの秘方を伝たものではなく、諸流派の秘方・秘書から、その優れたものをえらび出して記述したものということができる。 しかし、 本書にはもとより眼の解剖についての記述は見当らず、文政年代においては既に『解体新書』
や『眼科新書』等和蘭医学の影響を受けた医学書があまたあったと思われるが、それらの引用もなされなかったようである。したがって諸流派の秘方の修正や折衷もなく、文政の頃のわが国における眼科名家の秘方を最もすぐれた療法としてできるだけ忠実に伝えようとした眼科秘録とみることができる。本書はまた、 上下各巻の目録の他、丁数入の物名索引が附されている点、大変便利であり、単なる秘伝書の写本と異なり、当時の写本としては比較的整った眼科書である。

 

 

 

(1982年 11月 中泉、中泉、齋藤)

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