研医会通信  4号  2006.10.6
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『百花詩図考』より

このホームページでは、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。この号もひきつづき啓迪集です。

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啓迪集(3)
   

 

 慶安2年(1649)己丑歳、上村次郎右衛門開板の『察證辨治啓迪集』巻5、第43丁より第53丁には眼目門が掲載されているが、この中には「玉」と印された箇所が何箇所もあり、『玉機微義』(明・徐用誠 撰、全50巻)がよく用いられたことが判る。また、図10からも明らかなように、『玉機微義』の眼目門の項目は『原機啓微』附録(元・倪維徳 著、明・薛己 校、上・下、附録)(図11)の項目とほとんど同様で、この両書が中国、元代から明代にかけて著された医書なので、道三の『察證辨治啓迪集』には、その内容は時代的にみて中国元代から明代の眼科が取り入れられていることが窺われる。

 

 

『啓迪集』 『玉機微義』 『原機啓微附録』
 眼目門  眼目門  (附録全部が眼科)

 

   

眼目  血脈之宗

     諸精之カ(穴に果)

論目為血脉之宗 論目為血脉之宗
貴養血安神之説 論目昏赤― 論目昏赤―
眼疾主鬱熱而猶兼諸因 論眼證分― 論眼證分―

眼疾  表裏之弁治

     暴灸之易難

論目疾宜― 論目疾宜―

血   太過   倶有目疾

     不及

論内障外障― 論内障外障―
治療宜随諸経血気多少 論瞳子散大 論瞳子散大
目疾宜察五輪之火 論倒睫― 論倒睫―
老少昏明之因理 論目不能― 論目不能―
内障外障之辨 論目疾分三因 論目疾分三因
瞳子散大病因 論偸鍼眼 論偸鍼眼
倒睫赤爛 眼目治法 先哲治験
偸針   論瞳子散大  并方
脉辨    
肝腎両虚之証治 附方(薬剤等) 附方(薬剤等)
目疾諸因預須謹之    
眼目証因    

遠視  之辨察

近視

   
久暴辨治大抵    
補潟要旨    
北人患眼因治    
眼疾治法    

図10

 

 

   

図11 原機啓微附録  薛己 著   郭顕恩 校

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 このように『察證辨治啓迪集』は学術的にはかなり高度な水準を行く医書であるが、これが実地医療にどの程度吸収され、応用されていたか、はっきりしない点も多い。
また、本書は内科を主に扱っていた医家によって編まれた医学全書であるためか、その眼目門に記された眼科も全般的にその要旨のみが簡潔に述べられている感じがする。

 一方この頃、眼科実地治療には、すでに馬島(麻島、間島などとも書かれる)、穂積(住)、山口、佐々木、橘本、青木、酣韶流といった眼科実地医家が何れも中国伝来の五輪八廓説を基本とした眼科治療を行なっていた。これらの実地医家は、その奥儀を互いに秘して公開せず、一子相伝、口伝、口授といった形でそれぞれに一流一派をなし、もっぱら自己流派の繁栄を競っていた。(図12)


 

図12 馬嶋流秘伝書

 

   こうした時代に、診断を精しくし、病因を察し、疾病の経過を詳らかにし、その急性のものと慢性のものとを区別し、方土、男女、老若、貴賎等によりて疾病の症状に差異があり、したがってこれを治療するの法を異にすべきことを説き、また薬物の宜禁を論じ、鍼灸の法則を詳らかにすべきことを論じた(富士川游 著、小川鼎三 校注『日本医学史綱要』)『察證辨治啓迪集』が著されたことは、それがたとえ秘伝書等の形で直接諸流派の医家たちに使用されなかったとしても、当時の医法を一変させたことは確かであり、道三によるこの大著はまことに意義深いものがある。

 奈須(柳村)恒徳(1773〜1841)の『本朝医談』(第1篇、文政5年刊)に、
「近古の医書多しといへども『啓迪集』より盛なるはなし、天正2年広頒天下流永久の旨を蒙る他の医書此盛挙あることを聞かず、医たるもの必読むべし、是先帝の掟をかしこみ奉るなり。此書は月湖が『全九集』に本つきて作られしなり」

とあるように、本書は当時としては群を抜いた立派な出来映えの医書であったのであろう。そのため、『啓迪集』ができた天正2年には正親町天皇の叡覧に浴し、牧田策彦(周良、等持院天龍寺の住僧、天文16年足利義晴の命により明国に使した高僧)に序を書かしめている。

 『啓迪集』の流布本としては武田薬品工業株式会社所蔵の叡覧本の一部といわれるもの(天正年間 道三自筆写本、重要美術品指定)を初め、天正7年、同10年、慶長年代の写本、慶長17年、慶安2年、刊年不詳の版本等が現存している。

 このように『察證辨治啓迪集』は桃山時代にわが国にとり入れられた李・朱医学を総合的に纏めた医書であるが、当時著作された医書の中でも、これだけに纏められたものは本書の外には見当たらないように思われる。それにしても、冗漫で煩瑣といわれる李・朱医学をこうして全8巻に纏めあげ、しかもその医学を関東から京都へ、そして全国的に広めたのは初代曲直瀬道三であって、その努力と功績は多大なものである。また、彼は関東の足利学校で医学を学んだ後、京都に赴き啓迪院という塾舎を設け、本書をそこの教科書に用い、門弟医育のために大いに役立たせたといわれる。

 江戸時代に興った後世派(中国、宋代以降の医説を基本とする学派の総称)の成立する遠因をなしたのも『啓迪集』の医説であり、本書が日本医学の発展に大きな影響をもったことは看過できない。



 

 

主な参考文献
 
1)
徐 彦純: 玉機微義. 明・嘉靖9年(1530)序刊.
2)
月湖:  類證辨異全九集. 元和・寛永年間刊.
3)
曲直瀬道三:察證辨治啓迪集. 慶安2年(1649)刊.
4)
薛己:   原機啓微附録. 承応3年(1654)刊.
5)
黒川道祐: 本朝医考. 寛文3年(1663)刊.
6)
奈須恒徳: 本朝医談. 文政5年(1822)刊.
7)
呉 秀三: 中外医事 298:856、中外医事新報社 1892年.
8)
呉 秀三: 中外医事 300:1005〜1009、中外医事新報社 1892年.
9)
佐村八郎: 増訂国書解題. 71、589、 吉川弘文館 1911年.
10)
経済雑誌社:大日本人名辞書 2113、1912年
11)
藤浪剛一: 医家先哲肖像集. 刀江書院 1936年.
12)
富士川游: 医史叢談. 221、書物展望社 1942年.
13)
富士川游: 日本医学史. 194、日新書院 1943年.
14)
日本学士院: 明治前日本医学史. 2:366、日本学術振興会 1955年.
15)
日本学士院: 明治前日本医学史. 3:40、日本学術振興会 1956年.
16)
日本学士院: 明治前日本医学史. 4:250、日本学術振興会 1964年.
17)
日本学士院: 明治前日本医学史. 5:341、日本学術振興会 1957年.
18)
石原 明: 医史学概説. 244〜248、医学書院 東京 1955年.
19)
京都国立博物館: 医学に関する古美術聚英. 24、京都 1955年.
20)
石原 明: 日本の医学. 至文堂 東京 1959年.
21)
石原 明: おもかげとしごと. 10、医歯薬出版 東京 1961年.
22)
小川鼎三: 医学の歴史(中公新書39). 57、中央公論 東京 1964年.
23)
服部敏良: 室町安土桃山時代医学史の研究. 254、吉川弘文館 東京 1971年.
24)
矢数道明: 漢方の臨床. 21:1、21 1974年
25)
杉本 勲: 体系日本史叢書19―科学史―145、山川出版 東京 1974年.
26)
富士川游 (小川鼎三 校注):日本医学史 綱要. 東洋文庫258 95 平凡社 東京 1974年.
27)
京都府医師会: 京都の医学史展. 1975年
28)
阿知波五郎: Modern Medicine(日本医学近代化雑考―仮称―)
朝日新聞社 東京 1975年.
29)
自由国民社: 日本の古典名著総解説. 268、自由国民社 東京1975年.
30)
中泉行正: 古医書をたずねて. 126、千寿製薬、大阪 1978年.
31)
服部敏良: 江戸時代医学史の研究6. 吉川弘文館 東京 1978.

 

(1979年6月 中泉、中泉、齋藤)

 

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