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研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。

この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 眼科諸流派の秘伝書 (28)

37.『柚木流眼科秘伝書』です。

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37.柚木流眼科秘伝書

 眼科諸流派が一流一派を樹立してその特色を誇称してきたとはいえ、その秘伝とする内容は、某流の内薬は何の眼病に妙薬であるとか、某派は内障の治療術に優れているとか、一方一技をもって他流と互に競っていた程度である。しかし、何れの流派の医家も眼病治療の妙術を生みだすためにはその病因を究明し、創意工夫を必要とした。また、そうした気持を抱いていたに違いない。そのために、できうれば人体の解剖をしてその仕組を知り、眼病の原因を突きとめることによって、治療を効果的にしようとした。しかし、こうした考えを実地に行うとする時、最大の障害になったものが宗教的抑制であったように思われる。また、官の目も非常に厳しかった。

 こうした時代、柚木太淳(字仲素、号鶴橋、京都の限科医、〜1803)は寛政9年(1797)8月6日官に請願し、許を得て、その10月に一刑屍を解剖し、『眼科精義』、『解体瑣言』(寛政11年刊)等を著わしたといわれる。これより先、根来東叔(京都の眼科医)は享保17年(1732)、人骨を観察して写生し、それに説明を加えて寛保元年(1741)に『人身連骨真形図』と題する一書を作った。ついで寛保2年(1742)、『眼目暁解』を著わした。この書には眼球の構造を想像によって描いた眼球内景図が載せられ、白内障手術の経験より白内障は眼球中央部の病であると、その部位の解剖学的位置づけをしているといわれる。今日のような精確にして解剖学的に明らかにされた眼球図に1ヒベることはできないが、次第に眼球内部の解明が進められつつあった。これは根来東叔の創見であったといわれている(小川剣二郎)。

 柚木太淳の眼科は門人加門隆徳(字裕、備前香登の人)がその学んだ眼科を撰述し、門下倉内直によって筆記された『柚木流眼科書』によってその一斑を知ることができる。

 柚木流眼科書については小川剣三郎著、『稿本日本眼科小史』、(119頁)同著『実験眼科雑誌』(第5年27号、50頁)等を始め先輩諸先生が詳述されているので、ここには筆者の所蔵する数種の写本を紹介する。

 柚木流眼科を伝える写本にもその書名には種々あるがその内容はそれぞれの写本の作者によって多少の相違はあるが略々同じである。その数種を列挙すると以下の通りである。

  柚木流眼療秘伝書
    崎陽後藤孝玄丼諸家禁方
    文化11年8月南紀華岡塾 伊庭謙写
    凡例、眼病図、道具之図、全1冊36葉23.5×16 cm
  柚木流眼療秘伝書抜萃
    江州日野蒲生郡鋳物師村 天保2年4月鎌倉氏写
    凡例、全1冊34葉、24.5×17cm
  柚木流眼療秘伝書
    崎陽後藤孝玄丼諸家禁方
    足立蔵書(墨蹟)、浜松小書巣内田貞蔵書印、凡例、
    眼病図、道具之図、全1冊36葉、24× 17cm
  柚木流眼療秘伝書
    崎陽後藤孝玄丼諸家禁方 .
    村田東馬匡秀(墨蹟)
    凡例、眼病図、全1冊46葉、25× 17cm
  柚木流眼科秘伝
    石塚因寧蔵書(墨蹟)
    眼病図(淡彩色)、眼球解剖図(淡彩色)
     道具之図(4図)、全1冊46葉、24.5×17cm
  柚木流眼療秘伝(外題、眼科秘鑑)
    凡例、眼病図(淡彩色)道具之図
    全1冊39葉、23× 16.5cm
  柚木流眼療秘伝書
    崎陽後藤孝玄井諸家禁方
    凡例(皇都、鶴橋柚木淳先生門人)
    眼病図(淡彩色)、眼球解音』図(淡彩色)
    療具之図(淡彩色)本文全1冊25葉
    図、全1冊15葉、協和堂蔵版用箋
    広幡氏図書章蔵書印、24× 16.5cm
  眼療秘要集
    安政5年 吉益愚子羽識、松木慎哉(筆)
    眼病図(淡彩色)、眼球解剖図(淡彩色)、
    道具之図(4図)、全1冊32葉、24× 17cm
  家伝眼目収功方(外題)
    凡例、眼病図(淡彩色)、眼球解剖図(淡彩色)、道
    具之図(淡彩色)、全3冊(乾:19葉、地:24葉、
    眼目:11葉) 265× 18cm

以上9種の写本を対照してみると、先ず本文は、

凡例、眼病記述:外廓之部、上痺之部、土肉之部、膜之部、中痺之部、騎之部、雑之部、内痺内傷之部。

針術之秘方:方録一洗薬、蒸薬、塗薬、諮薬、雑部。

薬効―所用薬33種の主治薬能を説く。

 図は眼病図:外廓之部、15図、上痺之部、 5図、土肉之部、 4図、膜之部、 7図、中痺之部、 4図、騎之部、13図、風眼之治法、15図、内痺之部、15図。

 全眼形眼中真図、10図、療具之図、22図。

このような順に記述されている。

 小川剣三郎博士は柚木流眼科書として柚氏眼科秘録、柚木流眼療秘伝書、柚木流極秘方眼科、柚木流眼科秘録、加門家粘洗之秘方、柚木流眼療秘方記、柚木流眼科記聞、柚木流眼疾図等を挙げ「其表題ハ区々一様ナラザレドモ、内容ハ略ボ相同ジク……」と述べられ、その対照により得た完本によって解題されているが、筆者の所蔵する前述の写本の内容とほぼ同様かと思われる。

 このように柚木流眼科書は化政年代以後大変多くの異なった写本が見受けられる。このことからも多勢の柚木流門人、その他の医家によって移写され、広く用いられたものと考えられる。それは本書がこれまでの秘伝書と異なり、例えば眼病の分類を解剖的分類法を加味して行っていること、眼球を解剖してその構造を研究し、実験臨写の諸図を示していること、あるいは白内障手術について詳述し、その器具の種類もかなり改良された多数の
ものが掲げられていたからだと思われる。かように本書に人体解剖知識が初めて多く盛り込まれた陰には柚木太淳が、眼病が全身病に関係あることに注目し、人体の仕組構造を飽くまで窮めようとする願望と熱意があったからであろうといわれる。柚木流眼科書こそ、その収載される諸図が粗描といわれながらも、太淳の眼球解剖の実験臨写したものとして貴重な記録とされる所以である。柚木流眼科はオラング医学の影響を受けているとも考え
られるが、本書はこれまでの眼科諸流派の秘伝書からみれば格段の進歩を示していると思われる。

 

 

 

 
 
 
図1 柚木流眼図  外郭之部
 

 

 
 
 
図2 同本 眼球図
 

 

 
 
 
図3  同本 眼球図と療具之図
 

 

 
 
 
図4  同本 眼鏡ほか、療具之図
 

(今回は発表時に図版として使用した『柚木流眼療秘伝書』とは違う『柚木流眼図』という明治時代の写本の図をご紹介しています。)

 

(1984年4月 中泉、中泉、齋藤)

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