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今回は 『白内翳治術集論 附 穿瞳術集論』です。

 『白内翳治術集論 附 穿瞳術集論』

 

白内障手術は紀元前3000年頃から行われたらしいといわれ、古い歴史がある。昔は白内障というのは瞳孔に混濁した液がたまったものと考えられていたが、17世紀に入って、これは水晶体そのものの混濁であることが明らかになった。

 

わが国では白内障手術は日本最古の医書といわれる『医心方』(永観2年丹波康頼撰)第5巻に“治目清盲方"の項目で所載されているが、隋・唐代を初めとして、いわゆる漢方眼科の教えを基に眼科諸流派において揆下法、墜下法、裁開法、破壊法などが“針たて"という方術で行われてきた。幕末に至っては西洋眼科の影響で和漢蘭の折衷眼科も興り、吸引法なども試みられた。

 

その後、 ヨーロッパ諸国においては白内障手術に関する諸家の論説、方術、著書等次々に発表され、方術相定まらず論争競い、その訟等止まることがないほどであつた。本書はこうした時代、その自序にも「ソノ治術当今世間二行ハル所ノモノ纂集シテ以テ正シク諸

家ノ方術ヲ折衷スルハ実二難事ニシテ、即チ此書ノ著ハス本志ナリ」と述べているように、19世紀初めのヨーロッパ諸国における白内障手術に関する諸家の論説および方術を集めて、混ぜるものはこれを分ち、離れるものはこれを合し、その部門を定めて学術のために公にしたもので、その1818年版オランダ書が邦訳された。

 

筆者の手許にある写本には、著者はウトレヒトの人、オランダの医官、ハン・オンセノールト(Anton Gerhardvan Onsenoort、1782-1841)とあり、 和蘭1818年鏤行となっていて、訳者の名は記されていない。京都大学の富士川本には緒方洪庵(章)訳とあり、『杏雨書屋蔵書目録』には江戸、□ 信(履堂)訳となっている。また、『土生玄碩先生百五十年記念記事』によると、『白内翳治術集論』、ハン・オンセノールト著、訳者未詳、『白内翳方術論』、ハン・オンセノールト著、緒方洪庵訳、1818年原書刊と記されている。しかし、この『白内翳治術集論』と『白内翳方術論』はともにハン・オンセノールト著、1818年鏤行となっていて、各3巻よりなり、内容は訳語、訳文に多少の違いがある外ほぼ同じである。こうしたことから本書の底本となったのは1818年、アムステルダム版の蘭書 (Ver_

handeling Over de Graauwe Staar、AG van Onsenoort, Amsterdam CG, Sulpke, MDCCCXVIII)と思われるが何年に訳出されたものか不詳であり、訳者名も緒方洪庵説、訳者不詳説があり明確ではない。河本重次郎博士(1859-1938)は蘭書、オンセノールト氏

白内障論(Verhandeling over de graauwe Staar AGvan Onsenoort)は氏の卒業論文にして1814年にアムステルダムで出版され、当時有名な一書であったことを報告されている。

 

さて、本書の内容については前述の通りで、主に済下方、剔出方の諸説を挙げたものといえるが『白内翳治術集論』と『白内験方術論』の両書の目次を抄記してみると、以下の通りである。

 

白内翳治術集論目次

ハン・オンセノールト自序

 

巻之一: 大較、疾病之所在、区別、症候大較、各自の症候、疾病之始終、原因、他病合併、前見、預防方、内科術、施術月時之澤、患者預備、外科術、施術前之常則。

 

巻之二: 済下方下、刺角膜術「ゲルシュス」、「シカルパ」、「ワーン」「サウンテルス」、「アダムス」各方術

済下方下、刺角膜術「ゲレイセ」、「コンラシ」、「ビュフホルン」、「ランゲンベック」、「モンタイン」、「サウンデルス」、「レイ子ル」各方術。

 

巻之三: 剔出方上、刺角膜術。「フレイタグ」、「ウエンセル」、「サンタレリ」、「ベール」、

「ギブソン」、「アダムス」、「フルドロック」各方術。剔出方 下、剔角膜術。

 

「ベル」、「モユテル」、「ルオベンステイン・ルオベル」、「エアルノ」、「クフドリ」の各方術。

 

施術誤治之因、済下方誤治之因、易』出方誤治之因、施術間及其後之傍症、後翳、術後之療法、翳鏡、諸術比較。諸方術可否之決定。

 

白内射方術論 一: 総論、品別、症候総括、症候区別、疾病始終、遠因、近因、他病合併、預防術、内科治方、患者預備、外科治方、施術前常則。

 

白内蒻方術論 二: 済下法第一、論貫岡』膜施術者、済下法第二、論貫透明角膜施術者。

 

白内射方術論 三: 別出法第一。論貫透明角膜施術者、剔出法第二、論貫剛膜施術者、論術後之治方、論内翳之眼鏡、論諸方術之比較。

 

このように『白内翳治術集論』も『白内験方術論』も同じ原書の訳述と思われるが、『白内翳治術集論』には自序があり、『穿瞳術集論』の附録があり、 また、 目次におよそ32個の図解目次が挙げられ、白内障手術に用いられた器具の図があったことが窺える。

 

ヨーロッパの眼科における19世紀100年間の後半はドンデルス、Franciscus Cornelius Donders、(1818~1889)ゃスネルレン、H Snenen、が世界に名をなしたがその前半はもっぱらオンセノールトが活躍した時代であったといわれ、彼の偉業の一つに外科および眼

科の雑誌『Nederlandsh Lancet』の発行が挙げられている。

 

このように本書は19世紀初めのオランダの眼科における白内験手術の諸家方術を集めて論述したもので、当時のオランダ眼科を窺うことのできる幕末の翻訳眼科書の一つである。

 

 

主な参考文献       

 緒方鐘次郎: 緒方洪庵と足守 1927ヒルシュベルヒ著。   

 小川剣三郎訳:  日本の眼科(1)~(3)実眼 5(No.27~ 29)、1922   

 河本重次郎: 土生氏蔵書中の蘭書オンセノールト氏白内障論。日眼 33:25、1929   

 緒方富雄: 緒方洪庵伝 岩波書店、東京、1942  

 庄司義治: 白内障の手術的療法 日本眼科全書24、水晶体疾患.360、金原出版、東京、1961   

 福島義一: 白内障の歴史から(1)~00.銀海No 5~21千寿製薬.大阪、1964~66            


 

   
    図1 白内翳治術集論巻頭



 
        

図2  白内翳手術器具図。内田氏による模写。図1同書附図。

 


   

 
   

 

 
    図3  白内翳方術論 巻頭

      

 
    図4 遠无施能々児眼目篇 表紙外題。内容は『白内翳治術集論』と同じもの。


1986年12月 (中泉・中泉・齋藤)