研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。

この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 『眼目明辨』です。


 

 

 『眼目明辨』

 

 宝永4年(1707)に元禄2年板『眼目明鑑』の改正板が刊行され、その19年後、享保11年(1726)に藤井見隆纂、長岡恭斎丹堂校正による『眼目精要』が出版されたが、 日本人自身による眼科専門書の刊行は約1世紀の間休息状態であったようである。その後文化8年(1811)に至り衣関順菴(こもどめ じゅんあん)父子による『眼目明辨』の初編が上梓された。もっともこの約1世紀の間には安永3年(1774)杉田玄白等の『解体新書』の融訳、寛政10年(1798)宇田川榛斎の『泰西眼科全書』の融訳などオランダ医学の目覚しい進行がみられ、 また、馬島、三井、柚木流等々眼科諸流派の興隆も著しく、その家伝書、秘伝書などの類も数多く著わされた。

 かように漢方眼科を基範とした眼科諸流派の秘伝書などが大半を占める中に、解剖学を基盤にしたオランダ眼科が次第に採り入れられつつあった時代に刊行されたのが『眼目明辨』初編である。

 『眼目明辮』初編の巻頭には衣関甫軒先生口授、男衣関貫順菴撰述、門人 佐藤恭道軒校正とあり、一の関 田村侯藩医衣関甫軒が撰して、甫軒の歿後、その子、貫が甫軒の門人佐藤道軒とともに校刊したことがうかがえる。

 本書は文化7年(1810)柴田玄篤序、衣関貫順菴自序、橘延年の跛を載せて、同8年(1811)東都書葬、宮商閣より発党された。本文35丁全1冊(22.7×15.7 cm)四周単辺、有界、毎半葉10行、毎行20字、版心:上下魚尾、書名、片仮名交り和文の刊本である。内容を本書の目次により抄記すると以下の通りである。眼目明辨初編目次眼目内景之耕(眼球図)、内外障之辮、虚眼実眼之辮、診察之耕、瞼毛病 2則、眼瞼病 9則、涙管病3則、自膜病4則、鳥晴病10則、眼珠病2則、瞳仁病7則、上液病3貝』、中液病3則、下液病3則、視膜病
6則、 創傷病2則。

 このように眼病を解剖学的に分類しているが角膜病は欠けている。眼目内景之辨には東海(甫軒)がかつて解剖した眼球略図を以下の様な順序に挙げ、眼球の構造や作用を説明している。(1)眼目諸部図、12)眼球運動六筋幷白眼生諸瞖図、(3)剥裂鳥晴見瞖膜所在図、(4)
割開眼球見諸膜三液図。

 内外障之辨においては内障、外障の諸症病理を『龍本論』などの中国古代眼科書により弁じながらも古人の五輪八廓説は膠柱説にして取るに足らずとしている。虚眼実眼之辮では、眼目の虚実は則ち牌胃気血の虚実にして眼目の虚実ではなく、「眼目ノ内景牌胃ノ強弱気血ノ虚実邪風ノ軽重ヲ詳諦シテ治術ヲ施サバ何レノ難症卜雖モ癒ザルコトガアラン」と述べている。また、診察之辨に於ては「詠ノ浮沈遅数寒熱虚実眼科者流心ヲ用テ診察ス可シ。……余ガ眼目ヲ治療スルヤ内證ノ諸候ヲ専ニシ本トシ、勤メ先師ノ伝ル所ヲ以テ羽翼トシ……今ヤ其治療スル所ノ経験奇功アル者ヲ後二記シ、子孫誤治ノ罪ヲ免レ幸二淵二臨テ魚ヲ羨ムノ惑ヒ勿カランガ為ナリ」と漢方眼科の症候論を述べ、前述のような12種類の眼病の證治経験を患者の症例をひいて詳述している。

 このように本書は衣関甫軒が渡辺立軒に学んだ橘本流眼科(張膏甘子伝来の漢方)が基礎となり、その子、衣関順菴(貫)がブランカールツ、パルヘイン、クルムス等の西洋解剖書を参考に、 また、弗練喜(プレンキ)の眼科書(眼科新書の原本)を購入して読み、 自家の眼科に西洋眼科の解剖的精緻を加えて全く新しい眼科書として著したもので、わが国の眼科書の内、初めて眼球解剖図を掲げ、解剖的分類法を採り入れて眼病を記述したものとして日本眼科史上特筆されているところである。

 衣関順菴は名を敬貫又は伯龍といい、諱を鱗、字は甫軒、東海と号した。建部清庵に医学を修め、後に東都にでて渡辺立軒の間に入り橋本流眼科を学んだ。子の順菴(貫)の識に「家大人治術二刻苦スル積年瘻試二獣眼ヲ解剖シ終ニ人眼ニ至り此ヲ図シテ徒弟ノ指南車トス…」とあり、早くより眼の解剖を行つていた。文化4年(1807)11月15日歿した。享年60歳。また、子の順菴は字を貫、道川と号した。山口主税の弟で禰八郎と称したが衣関甫軒に養われて其家を嗣いた。『眼目明辨』の自序に「余弱冠柴田元徳先生二従ヒ師ヲ追テ禹穴ヲ浪華二探り、笈ヲ負テ九嶷ヲ京師二闚フ、或ハ贄ヲ尾ノ明眼院ニ執り、或ハ刺ヲ作ノ真島氏ニ投ス、外二在ルコト凡テ八年、養ヲ顧テ郷里二居ルコト十稔。……幸ヒニ明辨一経手澤、存スルアリ。是レ将ニ名ヲ立テ、道ヲ行クノ楷梯ナル欺、豊其價ヲ竢ツ者ナラン哉」と識し、師に従って大阪、京都、名古屋等諸国を遊訪した。順菴(貫)は本来皇国医方に興味を抱いていたものか、諸国を遊訪中得た皇国古博の経験数百方の中から撰述して懐中備急諸国古傳秘方、読龍樹菩薩眼論、本朝医籍目録等を著わした。また、「貫其意ヲ継ギ尚研究シ其内景手術治験方法ヲ次編三編ニ著シ明辮ナカラシム云々」と識されている。『眼目明辨』次編、同三編、重訂増補眼科新書嗣出と、文化7年(1810)須原屋善五郎発兌の本書の広告欄に載っているがその刊行の有無は明らかでない。

 

主な参考文献
衣関 順菴:  眼目明辮初編.宮商閣、文化7年(1810)
小川剣三郎: 稿本日本眼科小史 125、吐鳳堂、1904
小川剣三郎: 眼目明辮の著者.実眼 1:66、1917~ 18
小川剣三郎: 順菴眼科病論間答.実眼 2:37
小川剣三郎: 順菴存稿 実眼 3:379、1919~ 20
小川剣三郎: 衣関順菴医祖神恩頼の祷 実眼 3:383
小川剣三郎: 衣関甫軒.実眼 3:383、1919~ 20
小川剣三郎: 衣関甫軒先生伝.実眼 4:63、1920~ 21
小川剣三郎: 衣関順菴先生伝:実眼 4:127、1920~ 21
小川剣三郎: 衣関順菴医道復古之引 実眼 6:63、1923
小川剣三郎: 衣関順菴原稿.実眼 6:334、1923
小川剣三郎: 伴信友衣関順菴を紹介す。実眼 13:306.1930
小川剣三郎: 衣関順菴挿索古医書目録。実眼 13:306
小川剣三郎: 衣関順菴好作偽書.実眼 13:307、1930
小川剣三郎: 衣関順菴著述書目.実眼 13:673、1930
小川剣三郎: 橋本流渡辺氏系譜.実眼 14:291、1931
富士川 游: 日本医学史 449、 日新書院、東京、1943
福島 義一:  日本眼科全書1. 日本眼科史.116、金原出版、東京、1955
中泉 行正:   明治前日本医学史.4、日本眼科史.357、日本学士院編、 日本学術振興会、東京、1964


 

 

 


 

 

   
  図1『眼目明辨』 巻頭



 

 

 
    図2 『眼目明辨』 眼目諸部図

 

 
  図3『眼目明辨』 眼球図

 

 
  図4 衣関順庵草稿 巻頭 「神國醫道復古之引」

 

 
  図5 衣関順庵草稿 「神傳醫方秘蔵書目」

 

 

 

 

1987年6月 (中泉・中泉・齋藤)