研医会通信  154号 

 2018.3.16
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研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。
この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 『眼科新書』 佐藤勤也:纂訳  です。

 

『眼科新書』 佐藤勤也:纂訳

 

  眼科新書 佐藤勤也纂訳 全2冊 明治20年代以降多くの外国医書の翻訳・纂訳が行なわれたが、眼科書においてもその例外ではなかった。本書もそうした時期に、簡明な眼科講習書として学生向けに出版された眼科書の1つである。 本書は1893年(明治26)ドイツ国出版に係る、ウィーン市大学眼科教授エルンスト・フックス(Ernst Fuchs、1851~ 1930)氏原著の眼科書(Lehrbuch der Augenheilkunde)の増訂第3版を主として、他にフォツシュース氏・グレーフェ氏、 ミッヘル氏、 シュミットリムプレル氏、マイエル氏等の眼科書を参酌し、挿入図もそれら諸書から着色図画など125図を撰択して纂訳している。つまり本書は専らフックス氏眼科書の学説を基礎とし、 フォツシュース氏眼科書の系統に従い、かつ前記の数種の眼科書を参酌して纂訳したもので、図画もまたこれらの諸書より借録したものである(凡例)。 

 本書は医学生の教科書のみならず、 ことに治療法および手術式等最も周到に詳述しているので実地医家にとっても大いに便益のある眼科書であるといわれている。 

 本書は前巻、後巻全2冊(23×15㎝)よりなり、1893年(明治26)、 7月と9月に前・後編それぞれ活字版で半田屋書籍店から発兌された。本書の内容は前。後巻を16編に分け、前巻(426頁、63図)に第Ⅰ編より第ⅥI編を、後巻(427~853頁、64~ 125図)に第Ⅷ編より第XVI編を載せている。各編の目次により内容をみると以下の通りである。 

 

前巻

第I編 眼病ノ診断及治療総論

第Ⅱ編 屈折機及調節機ノ異常

第Ⅲ編 眼筋ノ運動障害

第IV編 眼瞼疾患

第V編 涙器ノ疾患

第VI編 眼窩ノ疾患 第

ⅥI編 結膜ノ疾患

後巻

第Ⅷ編 角膜及輩膜ノ疾患

第IX編 虹彩及毛様体ノ疾患

第X編 水晶体ノ疾患

第Ⅺ編 硝子体ノ疾患

第Ⅻ編 脈絡膜ノ疾患

第XⅢ編 緑内障

第XⅣ編 網膜ノ疾患

第XV編 視神経ノ疾患

第XⅥ編 他覚的症状ヲ呈セザル視力障害

 

 各編はさらにおよそ数章に分けられ、総論、各論の順で記述され、眼筋、結膜、角膜、虹彩、水晶体、硝子体、脈絡膜、網膜および視神経疾患の各論においては、その第1章に解剖的および生理的要領について詳述しているのが注目される。また、本書の特徴とする点はその鼈頭に当時の内務省医術開業試験に出題された問題を、主なものながら載せていることである。こうした形式の眼科書は当時としては少なかったようで、今日のような『医師国家試験問題集』や『臨床眼科』の“眼科診療マニュアル"等のようなものがなかった頃故、学徒にとって本書の出現は注目の的となったであろうと思われる。

 本書はこのように斬新性に富み、19世紀後半のヨーロッパ眼科をわが国に導入する最新の眼科書として、はじめ「眼科学講本」とされるべきところ、同年発行の甲野棐、保利真直、井上通泰共著の『眼科学講本』と混同をさけるため、書名は改めて『眼科新書』と命名されたといわれる。 

 纂訳者佐藤勤也氏は本書以外に『実用産科学』『徽毒学』等多くの纂訳著書を発行し、名古屋市好生館副館長(明治24年)の要織にも就かれた。同氏について、蜂谷勝太郎著『杏園叢評』(明治28年愛郁社刑)には以下の如く記されている。

  「若し夫れ医学士中、著述を以て其名を博するものは果して何人ぞと云ふ問題の出るあれは吾人は答ふるに佐藤勤也君の名を以てするに躊躇せざるなり、後進多の士が君の著述に依て稗益する蓋し尠少にあらさるべし、吾人は君に対して深く其勞を謝せさるへからず。君は謹敕着実の人なり、君が半生の事業は吾人其小心翼々の性質に依て得たるものなることを信す、更に君を評して博聞洽記と云ふは吾人寧ろ其野暮なるを知る。吾人は多く君の文章を見たり、豊富、遵麗、人をして一唱三歎せしむ、吾人は又君の演説を聞きたり、澁辮訥語、聞くに堪へすと雖とも姿勢の荘重なると言語の謹敕なるとは吾人をして謹聴せしむ、君は那辺までも質朴の人なり、又那辺までも真面目の人なり、吾人は学者としての医学士として待遇せんと欲す。

 君は元治元年を以て三河国碧海郡に生る、尾三医海の先導者を以て有名なる故軍医監横井信之氏は実に君の叔父たり。

 君の始め医学に志すや英語を以て之が門を立てんと欲し専攻二年、其の大略を了して将に内務省医術開業の試を受けんとす君の齢十有七、当時の制度は満二十齢を要す。君遂に去て東京に遊び以て獨逸学を研究す。茲年大学豫科に入り修学四年、医科大学に入り明治二十四年卒業して医学士の称号を受く。

 君の大学を卒業するや進んて獨逸国に遊学せんとす誰か図らむ叔父横井信之氏の訃に接せんとは鳴乎横井氏の不幸は即ち君の不幸となり終に鵬程十萬の企を試むる能はすして雄図空しく茲に没す。吾人は深く横井氏の死を悼む、寧ろ佐藤君の薄倖を悲む。

  君曽て一詩を寄せて心事を言ふ日

  攻苦焚膏惜寸陰 讀書萬巷犯憂侵

  百年身後兒孫計 卅歳堂前父祖心

  徒遂風雲功未就 毎逢花月句空尋

  中流撃揖終無用 笑看人生浮與沈

 君曽て吾人に寄するの文中に於て自ら卑下して碌々の一書生と云ふ、吾人轗軻落托の一措大、君かこの語に対して未た曽て額に泚せすんはあらず。 

 君が著者を数に紹介す。

  実用産科学 6版   1巻

  実用婦人科学 再版 1巻

  徽毒学 再版      1巻

  眼科新書               2巻

  衛生検査法導綱     2巻

  診断学講本            3巻 

 吾人は将来に於て多々増々辮する的の筆法を以て著述に従事し洛陽の紙価をして高からしめんことを君に対して至嘱す」

 

■ 主な参考文献|

蜂谷勝太郎:  杏園叢評55. 愛郁社.名古屋1895 中外医事新報No 328同社.1893

井上達七郎・諸角芳三郎共訳:  フックス眼科全書 朝香書店1899.

保利眞直纂著:  眼科学全書 南江堂 1904

 

 

 

  図1 『眼科新書』 前編・後編 佐藤勤也: 纂訳、1893年刊行 

 

  

中泉、中泉、斎藤 1991