研医会通信  157号 

 2018.6.19
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研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。
この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 『点眼瓶の今昔 (その1)』  です。

点眼瓶の今昔(その1)

 

わが国では昔から点眼瓶の代用として蛤の殻がよく用いられたらしい(武藤敏春氏)、 といわれるが、点眼の用具として点眼瓶が考案され、幾度か改良が加えられて今日のような点眼瓶が作られるようになった。今日そのすべての実物に接することは不可能なので、誌上に掲載された広告等により、投薬用点眼瓶の種類などを挙げてみようと思う。

 

辞書によると点眼とは「眼に薬液を注ぎ入れること」であるが、そもそも点眼はどのように行われてきたのだろうか小川剣三郎 (1871~1933)氏は『稿本日本眼科小史』(1904年刊)の中に、「点眼スルニハ如何二セルカ詳ナラサルモ、恐ラクハ木或ハ金属ヨリ作レル棒ヲ用ヰタルナラン」と述べられている。江戸時代の古い眼科書『眼科指南』)の中にも、底瘴(ソコヒ)の療治に「生脳2分、石膏2分、麝香1分、辰砂少、右を細抹シテ目棒ニテサスベシ」と記されている。

 

 

千葉保次 (1912~1990)氏は、江戸時代の後期から明治中期の1890年代前後にかけて使用されていたとみられる点眼瓶を点眼棒とともに紹介された(『日本の眼科』NO.326,1989)が、その説明によると、 この点眼瓶は陶製 (高さ6cm)で、 トックリ型の3本よりなり、瓶の腹部に青色の絵模様(松竹梅)が入ったもの(同類に“野中家特製の点眼瓶"がある。『大塚薬報』(No.384,1985)で、 目薬の溶液を入れ、木栓をして、黒檀製の点眼棒を一緒に添えて患者さんに渡していたものだといわれる。

 

 

天保年8年(1837)に本庄普一(俊篤、字士雅、武蔵本庄宿の人、(~1846)が著した『続眼科錦嚢』(下巻)には各種の眼科医療器具図を掲載しているが、その第2図に“滴水器"というものがある。これはその図解に「此以硝子製造者令水薬点滴于目中之器也」とあり、水薬(目薬?) を目の中に注ぎ入れる器で、硝子製のものであったようで、一種の点眼瓶とも思われる。また、わが国で最も早くより眼病治療を行ってきたといわれている馬島流眼科の眼療器具図の中に描かれている“目薬ツボ" なるものはどんなふうに用いられたのであろうか。

 

 

このように、わが国における点眼の方法には古くから目棒や点眼棒が眼療器具の1つとして用いられていたことが推察できる。また、その他にも、薬剤を人乳や水で溶いたもの、白蜜や唐胡麻油で煉って拵えた目薬をその種類によって、鳥の羽や新しい毛筆を用いて目に塗ったり、 コヨリの先に目薬をしみこませ、それを目頭に当てて眼内に吸い込ませる方法(宇山安夫氏)も行われていたようである。点眼瓶の代用として蛤の殻が用いられ、次第に粗造ながら瓶の形をした容器が考え出され、点眼棒と対で用いられるようになったものと思われる。

 

 

ヨーロッパにおいては、19世紀末には既にガラス製の点眼瓶の試作が進められていたようで、その製法等のわが国への紹介は大西克知(1865~1932)氏により行われた(『日眼会誌』13巻53~74頁、1909)。その紹介された主な点眼瓶の種類には次のようなものが挙げられる。

 

ストロシャイン(StroSChein)氏式点眼瓶(1892)

シドレル・フグェニン(Sidler・Huguenin)氏式点眼瓶(1900)

ストリーケン(Struycken)氏式点眼瓶(1900)

スネルレン(Snellen)氏式点眼瓶(1902)

モール(Mohr)氏式点眼瓶(1903)

ブロクセウスキ(B1okusewski)氏式点眼瓶(1904)

フムメルスハイム(Hummelsheim)氏式点眼瓶(1904)

ベッカー(Becker)氏式点眼瓶(1904)

ユング(Jung)氏式点眼瓶(1905)

ヂェーリング(Dunring)氏式点眼瓶(1906)

ブブリッツ(BubliZ)氏式点眼瓶(1906)

ペッシェル(PeSChel)氏式点眼瓶(1906)

 

 

点眼瓶は用途別に大きく分けて診察場用(消毒用、手術用)と投薬用とになるが、大西克知氏は当時わが国で用いられていた粗悪な点眼瓶の改良を思いつき、これらヨーロッパ式点眼瓶の中からストロシャイン氏式点眼瓶、ブブリッツ氏式点眼瓶等を模倣して、ストロシャイン氏式改良点眼瓶、改造ブブリッツ氏式点眼瓶および点滴瓶式点眼瓶、モラー氏式点眼瓶の変式の手術用点眼瓶を作製し、わが国の点眼瓶改良の先鋒を

なしたといわれている。

 

 

当時は舶来の点眼瓶は大変高価であったので、実用的で廉価な点眼瓶が求められていた。明治時代の後半にはスネルレン氏耐熱性点眼瓶が一般診察場用に使用された。その後、大正年代以降、投薬用の点眼瓶もわが国の業界で製造されるようになり、年々改良が加えられ、次々と新製品が製造販売されるようになった。そのうち、誌上の広告に載った主なものだけでも次のようなものが挙げられる(点眼瓶の名称の次の( )内年号は広告掲載誌発行の年号を示す)。(以下次号)

 

●主な参考文献

 

本庄普一:   続眼科錦嚢.巻2、芳潤堂、1837

小川剣三郎:  稿本日本眼科小史.吐鳳堂、1904

鹿児島注連吉: 消毒点眼瓶に就て、日眼会誌12:585、 1908

大西克知:   点眼瓶、日眼会誌13:53、1909 

大西克知:   余の手術用点眼瓶使用に関する注意一則.日眼会誌15:742、1991

不詳:          OR式点眼瓶.眼臨10:576、1915

堤 友久:       点眼瓶十数種及び欧洲著名の眼科医写真数十枚供覧、眼臨18:163,1923

堤 友久:       試製点眼瓶洗眼瓶両用補温装置供覧.眼臨20:206、1925

越智貞見:    手術場内自家案三    1)手術用点眼瓶、 眼臨22: 1、 1927

白幡 兼:    上原今朝蔵・立松保人:  点眼瓶及点眼薬に関する試験 

眼臨:31、526、1936

倉知与志:     貼眼薬と色.綜眼37:749、1942

伊藤貞二:    点眼瓶の種類及び之が将来の需要方法に就て.

眼臨42:244、1947

宇山安夫:       目薬 27、創元社、1956

宮崎順一・高野正彦: 点眼剤―その作り方と応用―。99、南山堂、1962

松村利幸・他: プラスチック容器についての一考察(特に点眼容器について、逓信医学19: 807、1967

生井 浩:   点眼液の調整と点眼剤容器の問題  眼紀19:143、1968

松村利幸・他: プラスチック容器(特に点眼用)についての考察 逓信医学22:1069、1970

戸塚 清:   点眼について 臨床眼科図譜第1集、25~26、1968

立岩 豪・他: プラスチック製点眼容器について 長野逓信22: 332、1970

清水弘一:   点眼瓶の色、べらどんなの妹、40、1984

清水弘一:   点眼瓶の穴、べらどんなの妹、79、1984

野本杏一郎:   木曽の眼医者いまむかし 大塚薬報、No 384、1985

千葉保次:   陶製点眼瓶 日本の眼科60 表紙 1989

千葉保次:   回春堂永吉の眼科病院 67 1990

武藤政春:   目薬の歴史(その1)(その2)眼臨79:984、1327、1985

 

 

 

図1   滴水器(『続眼科錦嚢』1837 所載)

図2  トックリ型陶製点眼瓶(『永吉の眼科病院』1990所載)

図3   ストロシャイン氏式点眼瓶 (日眼会誌13、1909所載)

図4   ストロシャイン氏式改良点眼瓶(日眼会誌13、1909所載)

図5     スネルレン氏耐熱性点眼瓶(河本博士 眼科研究会雑誌1、1991所載)

 

斎藤 1992