研医会通信  172号 

 2019.8.23
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研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。
この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 『捷径辨治集』 です。

『捷径辨治集』

 

『捷径辨治集』が天正5年(1577)に曲直瀬道三(1507~1594)により編述された医書であることはよく知られているが、『美濃醫書』の内容が『捷径辨治集』の内容と酷似していることについての報告は少ないようである。ここに紹介のものは次の3点である。

① 『捷径辨治集』

日東洛下翠竹奄道三編全1巻1冊49葉、片仮名交り写本(265×20 0cm)、毎半葉9行、

毎行字数不定、書写年代不詳

② 『捷径辮治集』

干時天正五丁丑四月廿九日、翠竹庵一漢斐道三編、七十一歳、在判

時寛政十一己未初秋七月中旬、於野州高根澤宇津氏秘法、片山鐘冬 花押。全1巻1冊44葉、片仮名交り横長写本(153×21 5cm)、毎半葉、行数、字数不定

③ 『美濃醫書』

一渓翁撰、上・下巻全1冊35葉、片仮名交り古活字版(13.5×18 .5cm)、毎半葉14行、

毎行字数不定(寛永の刊?)

 

次に本書の内容であるが、各々の目録は以下の通りである。

① 『捷径辨治集』目録

中風、傷寒、感冒、瘧、利、泄瀉、咳嗽、水腫、積衆、嘔吐、淋病、下血、労察、雹乱、

脹満、黄疸、脚氣

 

婦人: 上氣、頭痛、胸塞、不食、赤帯下、白帯下、月水不同、懐妊、産月、臨産、産後

小児: 虎口紋、生下点薬、疳虫治薬、煩熱而瀉、痘疹初證、解肌而快出怯弱、虚瀉

加減、頭痛、詳辨、胸瞞、心痛、腹痛加薬湯而引飲、鼻衂、吐血、咳血、痰血、喘急、

痰涎、大便秘結、大便泄瀉、小便順調、寒熱往来、潮熱、腰痛、汗出、咳逆、眩暈、

咽喉疼痛、 口瘡、歯齦、疼腫、脱肛、宿食、虚煩、健忘、癩癇、陰癲、痼冷、積熱、

吐血、咳血、衂血、下血、痔漏、咽喉、舌、眼目、耳、鼻、口、舌、牙歯、婦人、髪鬘、

癰、折傷、瘰癧

②の目録は①と同様であるが“脱肛"までを載せている。

③ 『美濃醫書』目録

上巻: 中風、傷寒、感冒、瘧、利、泄瀉、咳嗽、積衆、嘔吐、腹痛、淋病、下血、頭痛、

雹乱

下巻: 脹満、水腫、脚氣、疝、労察、婦人、懐妊、小児

 このように目録によってみると『美濃醫書』は『捷径辨治集』の“中風"から“小児"の項までを上、下巻に分けて編集したものと考えられる。例えば両書の“中風"の記述を比較すると、

『捷径辨治集』の“中風"… …左ノ半身不遂 肉桂 當帰 紅花 潤血通経 右ノ半身不遂者人参

黄耆 補氣 陳皮 タンヲサリ キヲユカスヘシ

『美濃醫書』の“中風"… …夫中風ノ脈ハ浮ニシテ力アリ 左半身不遂ハ肉桂 當帰 紅花ニテ血ヲ潤シ径ヲ通セヨ 右半身不遂ハ人参 黄耆ニテ氣ヲ補ヒ、陳皮ニテ痰ヲサリ氣ヲ行セ

 

このように『美濃醫書』の内容は『捷径辨治集』の内容とほぼ符合している。ただ① の『捷径辨治集』には前記のように“眼目"の項があり、以下のような記載があるが、② の『捷径辮治集』と③ の『美濃醫書』にはその記載はない。

 

① の『捷径辨治集』“眼目"

「目ハ肝ノ蔵ノ煩也、肝ノ虚カ又ハ熱カ能々見分ヘシ夫人間ノ眼ハロ月ヲウケテ生レ、物ノ色々ヲ見分一身ノ用ヲ叶ヘル、 日月ヲモ浮雲有テ照光ヲクラマス、人ノ眼ヲモ病有テクラマス也。目ハ肝ノ蔵ノ煩也、 目赤ク渋テ泪コホルルハ風熱也、腫痛マスシテカスミ見ヘサルハ虚也、亦腎虚シテロ不見者有腎ヲ補薬ト目ヲ晴ス薬ヲ与ヘシ。

 

撥雲散 此薬男女トモニ熱氣目ニアガリ、アカスデ立目ノ廻り腫テ目アケラレス、亦ハ腫赤モナクトモ、カスミ見ヘサルニモ与ヘシ、羌活 防風 柴胡 甘草 荊芥 黄連 菊花 地黄 芍薬 各等分 其身冷ハ柴胡ヲ引カヘヨ、右薄荷ヨキ茶少入可煎食後二与ヘシ。

 

荊芥散 此薬肝ノ蔵熱氣シ目赤ク腫痛二与へ、亦ハ煎テ目ヲ洗ヘシ。荊芥 當帰 赤芍薬各一両三分 黄連一両 右煎服スヘシ。

 

明眼地黄円 此薬男女トモニ虚シタル目ニモ亦ハ風熱ニモ与ヘシ、風子ツトハ目ノ中赤ク少々腫ルヲ云。牛膝三分 石斜 棟殻 杏仁 防風各一両 地黄二両、右未シテ蜜丸亦ハノリ丸○是程二丸シ、丗粒ツゝ塩湯亦ハ酒ヲ以呑。

 

敗毒散 此薬眼俄二赤ク痛ムニ与ヘシ、亦ハ大黄ヲ加ヘシ、瀉セハ大黄ヲヒカヘヨ。

 

黒阿伽陀 此薬虚ノロニヨシ、亦ハ熱ノ目成トモ血ヲ治薬成ル間イツレノ目ニモハツルヘカラス。」

 

このように本書においては眼病の治療薬として撥雲散、荊芥散、明眼地黄円、敗毒散、黒阿伽陀などが用いられ、塩湯や酒にて呑んだものもあったようである。また洗眼も行われていたことが窺える。

 

『捷径辨治集』は刊本が伝えられていないようであるが、いろいろな写本が残されている模様で、国会図書館、内閣文庫、静嘉堂文庫、九大、京大、杏雨書屋などの蔵書目録に掲載(国書総目録による)されている。また、『美濃醫書』は掲出本の外、寛永古活字版が

「高木文庫古活字版目録」に掲載されている。

 

このように『捷径辨治集」は天正5年(1577)、翠竹庵一渓道三によって編述されたものと思われるが、『美濃醫書』は“一渓翁撰"となっている点からも『捷径辨治集』の主な部分のみを上・下巻に編し、後世において古活字版にて刊行されたものと思われる。『捷径辨治集』『美濃醫書』は16世紀後半から江戸時代初めにおける道三流医学を伝える貴重な文献の一つであるといえよう。

 

 

『捷径辨治集』の編者、初代曲直瀬道三は名を正盛、正慶といい、字を一渓、号は雖知苦斎、蓋静翁、寧固と称し、院号を翠竹院、のちに亨徳院と称した。永正4年(1507) 9月18日、京都の柳原に生まれ、享禄元年(1528)、22歳の時、肥後の人、西友鴎とともに関東に遊び、下野(栃木県)の足利学校に入り、正文伯に師事、享禄4年(1531)11月、田代三喜(1465~1544)と会い、その門に入って李朱医学を講読する。天文14年(1545)、39歳の時、京都に帰り、学舎 “啓迪院" を建て、門人子弟を養成する一方、開業30余年間診療に従事するかたわら、従来わが国には病を明らかに診断し、証を弁別して治療を行う、いわゆる察病弁治書の少いのを憂い、 自らの治療経験をもとに、中国古来の医書60余を参考にして、その精粋を選び『啓迪集』(8巻)を編した。かくて田代三喜によって導入された中国の金・元時代の李東垣、朱丹漢の医学をさらに吸収発展させ、わが国に実証的医学発達の端緒を拓き、 日本医学中興の祖としてあがめられた道三は、文禄3年(1594)1月4日、88歳で没した。著書も本書の外多数知られている。(詳しくは矢数道明『近世漢方医学史』を参照下さい)

 

 

■ 主な参考文献

川瀬一馬: 高木文庫古活字版目録 76、高木義一、1933

川瀬一馬: 増補古活字版之研究 上、336、Antiquarian Booksellers Association of Japan、1967

国書総目録4: 395、岩波書店、東京、1966

国書総目録7: 565、岩波書店、東京、1970

矢数道明: 近世漢方医学史 104、名著出版、東京、1982

立岡未雄: 杏雨書屋蔵書目録 413、武田科学振興財団、大阪、1982

 

 

 

  図1 『捷径辨治集』巻頭(推定江戸初期写)

 

 

図2 『美濃医書』巻之上、巻頭(推定寛永年代刊、古活字版)

 

    『美濃医書』は当館の所蔵ではありません。コピーのみ用意してあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■主な参考文献 ■■

 

 


 

 

 

 

 

 

 

  斎藤仁男  中泉行信  中泉行史  1995