研医会通信  173号 

 2019.9.24
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研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。
この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 『撥翳鍼訣』 です。

『撥翳鍼訣』

 

文化12年(1815)に杉田立卿の『和蘭眼科新書』が著わされるにおよび、漢蘭混合の眼科が漸く行われるようになり、文政6年(1823)にシーボルトが来日してからは西洋式実地の眼科が高良斎(1799~1846)、土生玄碩(1762~1848)、馬嶋円如(1802~1855)らにより次第に本格的に行われるようになった。こうした実地医家達による著書も幕末にかけて著わされるようになり、その主なものに馬嶋円如の『眼科集要折哀大全』、高良斎の『西説眼科必読』、土生玄碩の『獺祭録』、本庄普一の『眼科錦嚢』(正続)などを挙げることができる。

 

こうした時代、弘化3年(1846)、鈴木道順(1795~1869)により著わされたのが『撥翳鍼訣』である。

 

本書は眼科学の上からも眼科史の上からも特筆すべき白内障論の大著(伊東彊恵治氏による)と言われ、当時、最も科学的に著述された内障眼治療書の1つとして注目されたようである。ここにその概略を紹介する。

 

掲出の『撥翳鍼訣』は「鈴木道順著 嘉永紀元仲秋新鐫三嶋窟蔵 門人鶴岡経道摂 新井綱亮齋全校 弘化三年歳次丙午孟夏之月望後一日 希秦老人鈴木章述 半仙中根容書弘化丙午秋八月男元邦謹跋」。 このような刊記のあるものである(千葉大学蔵)。2巻付録1巻全2冊、四周単辺、有界、毎半葉9行、毎行19字詰、全文漢文、版心: 書名、魚尾、巻数、丁数、希秦薬室。

 

以上は書誌事項であるが、本書の内容目録は以下の通りである。

 

巻上: 統論、症候、名称、體質、位置、内外区別、鍳定、施術難易、行針綱領、下墜

術、碎解術、辮下墜碎解行針症状、辨宜碎解難横刺症、辮内翳自損傷及誤治来

症、調理

巻下:  初起治法、針後治法

附録:   辮按定環之害、耕療具利鈍并針製異同附針製大梗、治験

 

これらの項目について記述されたものであるが、“碎解術"については「碎解針法余之所独得発明而屋経実験也」とあり、道順自ら創始した手術法という。道順の碎解術は、本態は洋学の載開術(discission)であって、角膜から針を入れ、水晶体を破ってこれを自然に吸収消解させる方法で、「此術雖傚直刺法其実創設之也」と述べているように、 この術は直刺法に倣うものである。

“辨療具利鈍并針製異同"には、器械が適当のもので、かつ鋭利でなければならぬことを力説し、つまり“弘法筆を選ばず"というが、眼科の手術には当てはまらぬ話であるという。針製大梗として手術に用いる針の名称を挙げている。  尖圓下墜針、扁刃下墜針、鴨舌下墜針、両刃碎解針、三稜碎解針、矛頭貫翳針、菱角貫翳針、掲拽勾針、漬膿披針。

 

また、“治験"の項の最後には7人(漁父2、商人2、男子1、婦人1、老婆1)の治験例が挙げられている。これは近世における臨床報告に劣らない書き方をしている(伊東彌恵治氏による)といわれている。このような時代の先端を行く内障眼手術書を著わした鈴木道順とはどんな人柄であったろう。

 

道順は名を章、字を子玉、号を道順、希秦、 さらに別号を三島窟と称した。寛政7年(1795)、安房平郡谷向村(現千葉県安房郡三芳村谷向)に生まれ、20歳の頃医学を志し、江戸に遊学し、遂に文化14年(1817)9月、 よき師鈴木宗観(名は長制、号を一貫、通称宗観、1759~ 1824)に巡り会い、その三ケ嶋眼科(赤門眼科)に入門し師事したと伝えられている。道順の江戸遊学期間は20歳(文化11年、1814)から24歳の初め(文政元年、1818)までのおよそ3年間と推定され、文政元年の1月には免許を得て郷里の谷向に帰り、そこに“三ケ嶋眼科"の出張診療所の形をとり、療治場“三島窟"を設け、眼科診療も隆盛を極めたという。その後、房州谷向と江戸(糀町9丁目、三ケ嶋眼科出張所?)を掛け持ちして、眼科診療と研究に従事することおよそ30年余り、嘉永2年(1848)、道順が54歳の頃、本書『撥翳鍼訣』を刊行したとみられている。また、本書の跛(弘化3年、鈴木元邦撰)には『十眼論』『外障本因考』などの書名がみられるが、道順の著述である確証はなく、その存否は明らかではない。

 

『撥翳鍼訣』には当時の和蘭訳書やわが国伝来の諸流派の秘伝書、あるいは漢方医書などをよく採り入れ、その長所を消化吸収すると同時に自己の経験も十分に活用している。行鍼法などにおいては家里一流相伝(内障針のこと)、八幡流眼病極秘書(針のこと)、柚木流眼療秘伝(針術の秘法)、馬島一流眼科相伝之秘書(眼療東雲秘録、巻之三、鍼)などがことごとく採り入れられている(伊東彌恵治氏による)。

 

このように本書は道順が52歳(弘化3年)の頃の著述であって、刊行は54歳(嘉永元年)のことであるが、幕末において海外眼科書の翻訳がしきりと多かった時代、最も先取り的な白内障論著として位置づけられ、その手術法の1つ、碎解術は道順自ら創始した方法で、その公開をしたことは、わが国の眼科史上特筆されるべきことであり、本書はその意味でも大変貴重な眼科書であると思われる。

 

 

 

主な参考文献 |

小川剣三郎: 稿本日本眼科小史 206、吐鳳堂、1904

佐村八郎: 増訂国書解題 吉川弘文館、1909

森 銑三: 眼科医鈴木一貫  並にその問人鈴木道順  。中外医事新報、1144号、57、1929小川剣三郎: 三箇島の眼医鈴木一貫 実眼 12:858、1929

同: 三ケ嶋文書(1)入門一札之事実眼 13:147、1930

同: 同(2)入室手形之事 実眼13:147、1930

同: 同13)出張所一統連印前書之事実眼13:225、1930

小川剣三郎: 三ケ嶋眼科 (その1)実眼14:67、(その2)14:211、(その3)14:284、(その4)14:427、いずれも1931

伊東彌恵治: 鈴木道順の生涯並に新資料。実眼20:66、 1937

同: 鈴木道順 中外医事新報、1240号、91、1937

同: 『撥翳鍼訣』の著者鈴木道順 中外医事新報、1244号、211、1937

富士川游: 日本医学史 459、 日新書院、1943

福島義一: 日本眼科全書1、 日本眼科史 81、 日本眼科学会編、金原出版、1954

同: 白内障の歴史から一江戸時代の白内障手術― (その11)銀海、16号、11、千寿製薬、1965

同: 白内障の歴史から一日本人医師がはじめて知った西洋眼科学の白内障一眼科新書から 銀海17号、13、千寿製薬、1965

中泉行正: 明治前日本医学史4 日本眼科史、292、日本学士院、1964

奥沢康正: 白内障手術史、その1 日本の眼科63(1):25、 1992

同: 同、その2 日本の眼科63(2):151、1992

同: 同、その3 日本の眼科63(3):287、1992

同: 同、その4 日本の眼科63(4):431、1992

 

 

・研医会図書館には『撥翳鍼訣』 の所蔵はありません。千葉大本のコピーのみ置いてあります。

 1996年10月『臨床眼科』に載っている画像はこのコピーの画像と思われます。

 

  斎藤仁男  中泉行信  中泉行史  1996