研医会通信 180号

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 2020.04.24

研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。
この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 眼科と日講記聞(1) です。

眼科と日講記聞(1)

 

明治初年から20年代にわたり日本で発行された眼科書は、そのほとんどが翻訳書か、「日講記聞」形式の講義筆記である。

 

『文園雑誌』(田代基徳輯、明治6年6月)、『日本医事雑誌』(坪井信良輯、明治6年11月)などは初期の医学雑誌として知られているが、講義筆録 としてはウイリス (William willis、1837~1894)の東京医学校における講義を訳出した『官版日講記聞』、ボードイン(A.F.Bauduin、?-1905)の大阪医学校における「日講記聞」などが初期のものとしてある。

 

「日講記聞」は雑誌というより、むしろ、外国人教師の講義録として扱われ、その発行系統を大別すると、東京医学校、大阪医学校、鹿児島医学校などに分けられるようである。

 

東京医学校では主な外国人教師に、ウイリス、ボードイン、 ミューレル、ホフマン、シュルツェら、大阪医学校ではエルメレンス、マンスフェルドら、鹿児島医学校ではウイリスらが挙げられ、外国人教師の講義が行われ、それぞれの医学校で翻訳出版されたものと思われる。

 

ウイリスは神田和泉町の旧藤堂邸に設けられた医学校兼大病院において市井の患者を診療し、また、学生に講義を行い、クロロホルム麻酔法、四肢切断術を教え、わが国の外科学の発達に貢献している。その当時の門下生には石黒忠恵、池田謙斎、佐々木東洋らがおり、ウイリスの講義を司馬浚海(盈之)が通訳し、石黒忠恵の筆記によって『官版日講記聞』(英医 偉利士氏口授、明治2年、東京医学校)が編纂出版されたといわれている。

 

一方、明治3年6月頃、エルメレンス(Christian Jacob Ermerins, 1841~1880)がボードインに代わって大阪医学校教師となり、明治10年夏まで、およそ7年間医育と診療に従事し、医学全般にわたって大いに貢献した。エルメレンスの講義はそのほとんどが“日講記聞"として以下のように上梓されている。

生理新論 (明治6年)

薬物学 (明治6年)

原病学通論 (明治7年)

産科論 (明治8年)

原病学各論 (明治9~12年)

生理各論 後論(明治10年)

前論(明治12年)

外科総論 (?)

各論 (明治12年)

(中野 操: 日本医事新報No.2485、138、昭和46による)

 

明治2年から同3年にかけては、東京医学校からウイリスが鹿児島医学校に移り、また帰国を前にしていたボードインが一時医学校の教師に雇われる(明治3年7月頃)などの移動があった。この頃のボードインの講義録が大学東校官版として出版された(『日講記聞』6巻6冊、抱独英口授、明治3年刊)。

 

その後、明治4年8月に明治政府の正式招聘によリミュルレル、ホフマンの両氏がドイツ国から東京医学校の教師に迎えられた。この両氏の講義として編集出版されたものが東京医黌日講記聞医科全書である。明治8年9月出版の本全書の題言に長与専斎は次のように述べている。

「明治四年膠爾列児、忽布満ノニ氏ヲ本校二聘シ大二医学ノ規則ヲ正シ更二教師数名ヲ延キ各其課ヲ分チ解剖生理ヨリ内外諸科二至ルマデ逐次講習スルコト滋二五年其課程ノ厳正ナル論説ノ明確ナル獨之ヲ校内ノ生徒二私スルヲ惜ミ今其講筵ニ筆記スル所ヲ輯メ校訂シテ之ヲ鉛版二上セ以テ世ノ学者二頒タント欲ス命ケテ医科全書卜日フ…」

東京医費日講記聞医科全書、解剖篇巻1~13

(ミュルレル: 口授、山崎元脩: 筆記)が明治8年から同9年にわたり発行されている。この医科全書解剖篇には附図はなく、「医科全書解剖篇図譜(海都満原図、山崎元脩撰、銅版、明治12年刊)を参照せよ」とある。この医科全書は明治8年以降続刊されたものと思われ、明治12年にはその眼科篇が発行されている。この眼科篇は東京大学医学部教授、獨逸国医官ドクトル、シュルツェ(Emil A. Wilhelm Schultze、1840~1924)著、安藤正胤・三瀦謙三訳により、明治12年10月にその第1巻が芸香社から出版された(日眼百周年記念誌第6巻、日本眼科の史料、166頁参照)。残巻資料によると以下の項目による講義が行われたものと思われる。

第1巻(明治12年10月刊)

第1章 眼瞼諸病論

第3巻(明治13年3月刊)

第4章 角膜病論

第7巻(明治13年7月刊)

第7章 交感性眼炎

第8巻(明治13年9月刊)

第8章 視神経諸病

第9章 視器官能的障碍

第10章眼宙内諸病

第11章眼筋諸病

医科全書眼科篇附録(明治15年5月刊)

視学的光論

 

ウイリスが東京医学校の講義を受け持った期間については、明治2年1月20日から(入沢達吉説)あるいは明治元年暮か、もしくは明治2年の初めまで(餃島近二説)、あるいは明治2年1月から同3年1月まで(三宅秀説)などその説はまちまちであるが、ウイリスの鹿児島医学校時代には、外科のみならず、内科、産婦人科、耳鼻咽喉科、眼科などの講義を受け持ち、明治6年1月『鹿児島病院日講記間』が刊行された。その眼科の部には「眼目剖見」という題で眼の解剖が簡単に書かれ、レセプト抜粋にも眼病の処方が記され、白内障にアトロピン点眼と肝油内服を処方している(鮫島近二著『明治維新と英医ウイリス』)。

 

 

 

   図1 東京医姜日講記問  医科全書 解剖篇(明治8年)

 

       

  図2 東京大学医学部編  医科全書 眼科篇(明治13年)

 

  図3 東京大学医学部編  医科全書 眼科篇附録(明治15年)

 

 

  斎藤仁男  中泉行信  中泉行史  1997