研医会通信  217号 

 2023.5.30
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研医会図書館は近現代の眼科医書と医学関連の古い書物を所蔵する図書館です。
この研医会通信では、当館所蔵の資料をご紹介いたします。
今月からは『臨床眼科』の記事から離れて、いろいろな資料をご紹介します。

今回は 『植学啓原』です。

天保6年発兌 『植学啓原』扉と箕作阮甫(虔)の序文はじめ

 

 

      図1『植学啓原』 宇田川榕菴 菩薩樓蔵板   

      天保5年(1834) 『植学啓原』扉と箕作阮甫(虔)の序文はじめ


まずは、NHKの朝のドラマにも出てきた『植学啓原』(図1から7)を取り上げます。牧野富太郎がすべて写しとったという植物学の本です。著者の宇田川榕菴は、津山藩の洋学者。幕府の蛮書和解御用で翻訳事業を担った人物です。

 

さて、以前、岡山駅から電車で約1時間半ほどの津山に行き、津山洋学資料館を見学いたしました。資料館の入口には有名な学者たちの像があり、なかでも魅力的に見えたのが榕菴の像でした。山を分け入るように北上した先に開けた津山の街は大きな吉井川があり、今でいえば高速道路沿いにあるような感覚であったのでしょうか。国土交通省の「日本の川」のサイトでは、室町時代の吉井川には高瀬舟が航行し、これを見本にして角倉了以が京都の河川開発をし、舟運を開いた話が紹介されています。当時の津山城下の人々にとって、京や長崎は私たちが感じるほど遠くはなかったのかもしれないと思いました。ちなみに、江戸時代には津山城下では、今の吉井川を津山川と呼んでいました。

 

榕菴には仏教のお経のような装丁の『菩多尼訶経』(ぼたにかきょう=botanica ラテン語「植物学」)という24歳頃の著書があります。西洋の植物の生理生態や植物学史がまとめられている本です。養父の宇田川玄真が訳し、榕菴が校訂した『遠西医方名物考』が出たのも同じ頃です。オランダからもたらされた薬用植物書などを学んで育った英才榕菴は29歳頃、江戸でシーボルトと交流があり、その能力を高く評価されていたといいます。シーボルトは榕菴が贈った標本や写生画の返礼に、スプレンゲルの『植物書』(ドイツ語版)と顕微鏡を贈った、と津山洋学資料館の展示図録(常設展示図録「資料が語る津山の洋学」)にはあり、顕微鏡の複製品が展示されていました。

そして、今回取り上げた『植学啓原』を著したのは36歳頃、シーボルトから贈られた顕微鏡で観察したのでしょうか、植物の組織図も収載されています。ここで思い出すのは、榕菴は、美濃の大垣藩医の子であったことです。この大垣藩には『草木図説』(1856)を著した飯沼慾斎がいました。慾斎と榕菴とは16歳ほど年が離れていますが、後に慾斎の三男は榕菴の養子となり、宇田川興斎を名乗ります。本草学の基礎や興味の土台があった医師たちにとって、植物学はすぐに入っていける西洋の学問であったのかもしれません。研医会図書館には、『遠西医方名物考』(1822)、『和蘭薬鏡』(1828)も所蔵しており、宇田川家の洋学者らの著作を合わせて閲覧できます。

『植学啓原』を出したさらに3年後には化学書『舎密開宗』(1837-1847刊)の翻訳をしています。(舎密は「せいみ」=chemistry化学)研医会図書館には、この筆写本があります。「頗ル純粋ノ明凢土ヲ得ル法」など、磁器に使う土の製法など記してあり、添えられたメモ書きには「宇田川榕菴自筆」とありますが、定かではありません。

 

また、榕菴自筆の砲台車の設計図もあります。(図8)設計図の文字や線の引き方をみてもわかるとおり、とてもきっちりした学者であったのだろうと察せられます。数年前まで、何か工事車両のようなものかと思っていましたが、横浜薬科大学の梶輝行先生に見ていただき、大砲を載せるための台車であることが判明しました。幕末から明治にかけての翻訳事業は、時代が進むにつれて、科学全般の書物から軍事関連の書物の翻訳に集中していったと聞いたことがありますが、列強がこぞって開国を迫り、自国に有利な条約締結を画策していた時代、西洋に並ぶような軍備を整えることは急務と感じられたのでしょう。

津山の土産物店には「榕菴珈琲」と名づけたコーヒーも売っていました。榕菴が日本人にコーヒーを紹介したから、ということですが、植物学においても、化学においても、医学においても新しい用語を作って西洋の学問をわが国に広めた榕菴は、コーヒーやトランプといった日常の品も私たちに紹介してくれた人物です。学問だけではないその度量の広さが魅力です。

 

  *書名のリンク先は、国文学研究資料館アーカイブにある、研医会図書館所蔵本の画像です。 

 研医会図書館には2点の『植学啓原』があります。

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100387132/1?ln=ja(黄色の扉のもの 天保5年新鐫 天保6年発兌) 

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100387161/3?ln=ja (扉の白いもの)

 

 

『植学啓原』箕作阮甫(虔)の序文つづきと宇田川榕菴の識語の最初
  図2 『植学啓原』箕作阮甫(虔)の序文つづきと宇田川榕菴の識語の最初

 

 

『植学啓原』榕菴序文のつづき

    図3 『植学啓原』榕菴序文のつづき

『植学啓原』宇田川榕菴の識語と目録のはじめ

  図4 『植学啓原』宇田川榕菴の識語と目録のはじめ

 

『植学啓原』の十四丁め 図の番号が頭注にある

  図5 『植学啓原』の十四丁め 本文の上に参照すべき図の番号が書かれている。

 

つくばね・鐘空木の絵

  図6 『植学啓原』第七図(つくばね・鐘空木)と第八図(水仙)

 

   図7 『植学啓原』第十三図(春蘭・唇花・撒爾費亜)と第十四図(鷺草・菫)

 

宇田川榕菴自筆の砲台車設計図

  図8 宇田川榕菴自筆の砲台車の設計図

 

津山洋学資料館入口

  津山洋学資料館

 

宇田川榕菴銅像

  津山洋学資料館前にある宇田川榕菴像