2025.5.9
図1 『外科学辞書』
高野長英稿本か? 「外科学辞書」
黒いペン書きの横文字とその側に漢字とカタカナで朱筆の単語が添えられている冊子をご紹介します。30丁の和紙は半分に折られて、こより紐で綴じてあります。 最初のぺージには、“Ⅱ.HOOFTDDEEL” とあり、最後の行には「此篇二主トシテ論スへキモノ甚タ浩博ナリ」と朱書があります。これは、高野長英が訳した外科書の稿本と伝えられて所蔵する冊子で、「長英の高弟であった柳田某氏の所蔵に係るものと云われる」と添え書きにあります。長英の自筆であるか、他の人の書写による冊子なのかは不明です。 岩手県長英全集刊行会が昭和5年に発行した『長英全集』第三巻 兵書の最後部分に掲載されている、という情報もあります。(筆者は調査しておりません) 長英は岩手水沢の生まれで、現在この岩手県奥州市水沢には高野長英記念館があります。
添え書きには、長英の高弟の柳田氏についても言及し、「柳田鼎蔵、福田宗禎、高橋景作、柳田楨三、此の中の人か」と書かれています。 当時最新の外科学をオランダ語で学び、それを医療に活かそうと努力したものの、幕政を批判して投獄され、火事をきっかけに脱獄、各地を転々として逃亡生活を続けた後、ついに江戸青山百人町で自刃した長英。このような医学書の翻訳を手がけていた人が生かされなかった時代を思うと悲しい気持ちになります。冊子は長英本人の筆かどうかはわかりませんが、丁寧に考察が書き込まれており、例えば銃矢による創傷について、その受けた武器の種類によって傷の手当て法も異なるだろう、などと述べています。
図2 同本
図3 同本 銃矢の傷について書かれている部分