研医会通信  207号 

 2022.8.1
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研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。
この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 『医学奇疾便覧』です。

 

『医学奇疾便覧』

 

古来わが国では珍しい病や不思議な病を扱った書物として『病草紙』や『奇疾絵巻』などが知られているが、『奇疾便覧』もそうした類の医書の1つである。

 

掲出本『奇疾便覧』は下津寿泉(生没年不詳)撰、正徳3(1713)年 下津春抱子序、正徳5(1715)年、洛陽書林、梶川儀兵衛・中野宗左衛門 版行、全5巻5冊、四周単辺、無界、毎半葉10行、漢字仮名交りの和文で記述された刊本である。

 

本書は『素問』『病源候論』『千金方』『金置要略』『外台秘要』『大平御覧』『本草綱目』『和剤局方』『三因方』『医学入門』『聖済総録』『證治準縄』『萬病回春』等々およそ132種に及ぶ中国の書物を中心に引用して、そのなかから169種類の病題を挙げ、その奇疾について記載し編集したものである。これら病題のなかに眼に関係する記述もあり、その2、3を紹介してみよう。

 

「聞奇録ニ曰ク金州ノ防禦使 崔羌封ガ甥ニ李言吉卜云モノアリ、左ノ目ノ睚忽チ痒シテ小瘡ヲ生ジ漸漸二大シテ鴨ノ卵ノ如シ、其根弦ノ如クニシテ引張痛ク堪ヘガタク恒ニ其目ヲ壓イデ開クコトアタハズ、羌封コレヲ悲シミ患フ、或時コレニ酒ヲ多ク進メ大イニ醉シメテ、刀ヲ以テ瘡ヲ割キ破ル、言吉曽知覚スルコトナシ、須更アツテ瘡中ヨリ黄色ナル雀アツテ、鳴イテ空ニ飛ビ去ル、是ヨリ瘡愈ルコトヲ得タリ。」(第1巻、病題「乳中雉出」)

 

「……蕭雲泉卜云モノ眼疾ヲ患、物ヲ見ルニ皆倒ニ植ツ、呂復卜云医ヲ招イテ治ヲ求ム、復其病ヲ得ノ由ヲ問フ、雲泉曰ク、某嘗テ大イニ酔、其飲ム所ノ酒ヲ悉ク吐ク、熟睡曙二至テ遂二此病ヲ得タリ、呂其脈ヲ診スルニ左関浮促ナリ、即チコレニ告曰ク、方二酒傷レ大二吐スルノ時當テ上焦反覆シテ其膽府ヲ倒ニスルコトヲ致ユヘニ物ヲ視ルニ倒植ナリ、此外因ニシテ内傷ヲ致モノナリ、法方二復吐シテ以其膽府ヲ正スベシ、遂ニ〇(=藜の下が木)蘆、瓜蔕、水煎シアタヘ、平且頓ニ服セシメ吐スルヲ以度トス、吐畢テ物ヲ見ルコト常ノ如シ。」(第5巻、病題「眼疾倒植」)

 

「……乳母爛縁風眼ヲ苦シムコト二十年ニ近シ、薬ヲ賣テ業トスル老媼コレヲ見テ云フ、此ノ眼方ニ虫アリ、其細キコト絲ノ如シ、色赤クシテ長シ、久シキトキハ滋々多ク生ジテ已マズ、吾能コレヲ除キ去ト、終ニ山ニ入リ薬ヲ取テ晩ニ下ガツテ方ニ治療ヲナスベシト、… …叢蔓ノ木葉ヲトリテ手ヲ以〇(=綏のいとへんがのぎへん)碎キ口中入咀嚼シテ汁滓ヲ小竹ノ筒ノ内ニ留メ、シバラクアツテ復皁紗(ソウシャ)ヲ求メテ乳母ノ眼ヲ蒙ヒ(おおい)筆ヲ取テ雙眸ヲ紗ノ上二畫キ、然シテ後薬汁ヲ滴ミ(しだみ)眼ノ下ノ縁ヲ潰ス転眄(テンベン)ノ間二虫紗中ヨリ出、其数十七状、前云所ノコトシ、数月ノ後再ビ至リ下ノ縁ノ内乾イテ常人ノ如クナレリ、復前法ヲ用イテ上ノ縁二滴ム又虫十数ヲ得タリ、家人大イニ喜ンデ後ニ医者上官彦誠ト云モノハ伝フ遍ク鄰村ノ婦コレヲ病モノヲ呼ンデ試ミルニ立處不痊ト云コトナシ、上症用ル所ノ薬ハ即チ覆盆子葉ナリ、陳蔵器ノ云フ眼暗クシテ物ヲ不見冷涙浸淫シテ不止及青盲等ヲ治スト、此艸ヲ取リ日ニ晒シカハカシ、搗テ極テ爛薄綿ニコレヲツゝミ、男子ノ飲所ノ乳汁ヲ以テ浸シ、人行コト八九里ノ久シサ許リシテ用イ目中ニ點ス即チ臥テ仰面ス、三四日ヲ不過シテ物ヲ見ルコト少年ノゴトシ、但シ酒麺油ヲ禁ズ蓋シ眼ヲ治スルノ妙品ナリ。」(第5巻、病題「爛緑眼」)

 

「……冨翁ノ子忽病リ、正シキモノヲ視テ皆以テ斜ナリトス、凡ソ几案書冊ノ類イ排設正ケレドモ必更移テ斜ナラシメ、自ラ以テ爲正ナリト、以テ尺牘ヲ書寫スルニ至テモ皆然ラズト云フコトナシ。父母甚ダコレヲ憂、更ニ数医ヲ歴ドモ皆其病ヲ知ルモノナシ、或人吉老良医タルヲ以告グ、遂ニ子ヲ携テ往テ治ヲ求、既ニ詠ヲ診テ後其父ヲ先帰ラシメ、其子ヲ留テ楽ヲ設ケ宴ヲ開キ酒ヲ勧ルコト筭ナシ、ルニ至テ乃チ罷スデニ病者ヲ扶ケテ轎(てぐるま)ノ中に坐シメ人ヲシテ是ヲ舁シメ(かかしめ)、其手ヲ高下ナラシメ、常ニ傾側展転セシメ、久アッテ方ニ榻ニ登セテ臥サシメ旦ニ達テ酒醒テコレヲシテ家歸ラシム、前日斜二観ル所ノ物皆正シ、父母躍然トシテ喜ビ且コレヲ治スルノ方ヲ問、吉老ガ云、此病醉中地二附邪ニ視ルニ因ルニ肝ノー葉ヲ倒ニシ肺葉ニ搭ル(かかる)故ニ正キ物ヲ視テ斜トス、今復治スル

ニ酒ヲ飲シメ劇醉フトキハ肺脹レ展転ノ間ニ肝モ亦随テ下ル故視ルコト遂ニ正ナリ、薬餌安能コレヲ治センヤ哉。」(第5巻、病題「視正爲斜」)

 

このような奇妙な眼疾の存在に驚かされるが、それにしても、それら不思議な眼疾の治癒に酒が用いられることの記述にはさらに奇妙な思いがする。

 

本書は下津春抱子注)の序に、「毎スル諸書有怪異之證状者、盡拾鳩之書之以国字」と記されてあるように、主に中国に古くから伝えられた諸書から珍しい症状のものをことごとく拾い集め、和文でわかりやすく記述したものである。

 

古くから人の病にはほんとうに多くの難病、奇疾が認められ、人はそれによって悩まされ苦しめられて今日に至っていることを本書は物語っているように思われる。

 

注): 下津寿泉(号:春抱子):摂陽の人。著書に『纂言要方』『医方詳解』『痘疹医統』『婦人方彙』『小児方彙』『参孜衆方規矩』『本朝名医類案』がある。

 

 

 

●主な参考文献

1)服部敏良: 平安時代医学の研究. 桑名文星堂、1955

2)武田科学振興財団: 杏雨屋蔵書目録. 臨川書店、1982

3)小曽戸洋: 日本漢方典籍辞典. 大修館書店、1999

4)酒井シヅ: 病が語る日本史. 講談社、2002

5)板原七之助: 本朝医家著述目録.浅妻屋書店、1935

 

 

 

 

    図1 『奇疾便覧』表紙

 

    図2  同書扉

 

    図3  同書刊記

   

 

 

斎藤、中泉 2005