研医会通信  257 号 

 2026.10.21

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研医会図書館は近現代の眼科医書と医学関連の古い書物を所蔵する図書館です。
この研医会通信では、当館所蔵の資料をご紹介いたします。

今回は  ディオスコリデス『薬物誌』です。    

 
   
 

   

 図1 ディオスコリデス 『薬物誌』扉

 

 

 

ペダニウス・ディオスコリデス (Πεδάνιος Διοσκορίδης):著

『薬物誌』(マテリア メディカ)

 

 前回はテオフラストスの『植物誌』を取り上げたので、今回はその300年から400年ほど後に作られたディオスコリデスの『薬物誌』をご紹介いたします。当館所蔵の書籍は1598年の“Pedacii Dioscoridis Anazarbaei Opera qvae extant Omnia” です。

 

 表紙には、

「アナザルボス出身のペダキオス・ディオスコリデスの現存する全著作。

リヨンの医師ジャン=アントワーヌ・サラザンによる新訳に基づく。

さらに巻末には、同じ翻訳者による注解が付されている。その注解では、諸写本に見られるさまざまな異読が検討され、薬物学についての古代人および近代人の異なる見解が提示され、ときにはそれらの見解の調整が試みられる。また、著者の本文のうち、本文が損なわれた箇所、不明瞭な箇所、難解な箇所が校訂され、明らかにされ、説明される。

アンドレアス・ヴェッケルの相続人、クラウディウス・マルニウスおよびヨハネス・アウブリウスの費用により刊行。1598年。神聖なる皇帝陛下の出版特許を得て。」

とあります。

 

扉の裏には、印刷された特許・出版許可関係の記載があります。AIによる翻訳によれば、以下のような内容です。

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神聖ローマ皇帝ルドルフ二世は、請願者であるアンドレアス・ヴェケルに対し、臣下としての忠実な奉仕に報いるため、またその者に特別な恩恵を与えるために、帝国の権威によって、以下のことを認め、許可した。

 

すなわち、アンドレアス・ヴェケルが著述し、さまざまな医薬および薬品について論じたこの書物について、

最初の刊行から10年間、神聖ローマ帝国内および皇帝の支配領域において、何人もこれを印刷し、あるいは印刷させてはならず、また、他の場所で印刷されたものを持ち込んだり、販売したりしてはならない。

 

これに違反した者は、皇帝によって定められた**罰金50マルク(純金)**を科されるものとする。

その罰金の半分は帝国の国庫に、残る半分はアンドレアス・ヴェケル、またはその相続人に帰する。

 

さらに、違反して印刷された書物は没収されるものとする。

皇帝のすべての臣下ならびに関係者は、この命令を遵守しなければならない。

 

宮廷にて、1582年。

ルドルフ

ヨハン・バプティスタ・ウェーバー

神聖なる皇帝陛下御自身の命により

F. Obernburger

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よく漢籍でも和刻本でも、無断で印刷したらどこまでも追及するぞ、という文言が書かれていますが、事情はどこの地域でも同じなのでしょう。海賊版をつくる輩はどこにもいたようですね。

 

次に置かれる序文は、著者のサラザンが国王に対してこの本を献呈するという内容です。それによれば、この医師はすでに国王の医師団に所属していたようで、ディオスコリデスの研究書を発表することを王から許されていました。国王は自分の名をつけてこの書を世に出してよい、と言ったようですが、著者のサラザンはうまくこれを断っています。この仕事に不備があったら王の名を汚すことになるから、と書かれていますが、王名によって、自分の名が霞んでしまうことを避けたかったのかもしれません。

 

 献呈辞の後には、「公正なる読者へ」という序文がおかれています。そこにはなぜディオスコリデスの翻訳に取りかかったのかや、新訳において、意訳者ではなく、翻訳者としての務めを果たそうとした、ということが語られます。翻訳を進める仲間が途中で亡くなってしまい、他の仲間の意欲も失われるなど、苦難の様子も綴られています。

 

 ギリシア語本文については、「学識深いグーピュルスのパリ版を、当時存在していた諸版のうちで最も完全で、最もよく校訂されたものとして、忠実に底本とした」とあり、「推測を過度に重んじて、より優れた写本による証拠もなしに本文を変更するようなことは、どこにおいてもあえてしなかった。」と、編集の方針を述べています。

 

 2022年の日本医史学雑誌 第68巻第3号には福島正幸氏による書評として岸本良彦 訳注 『ディオスコリデス 薬物誌』が掲載されていました。この中でも述べられている通り、この『薬物誌』の写本伝承の来歴は非常に複雑で多岐に渡っており、完全な校訂本の作成には今後数十年かかるものと想定されているそうです。こうした状況は今から400年以上前のフランスにおいても、やはりそう変りはなく、そうした混乱を整えようとサラザンらが努力していた様子がわかります。改竄、竄入は変化する世の中や変動する気候、病気そのものの変化によっても起こり得ることですが、やはり、情報は整理しておかなければなりません。元の文はこれ、この時代に変えられた事項はこれ、と把握することは大切です。

 

 ですから、この1500年代フランスの『薬物誌』だけでわかることは限られるものではありますが、立派な装丁の大きな『薬物誌』を読み解くのも面白いことかと思います。

 

 

 

 

 

  図2  原著者のディオスコリデスの想像画の肖像とこの書籍の翻訳者ジャン・アントワーヌ・サラザンの肖像

 

        図3 同本 索引の冒頭 

 

 

      図4  同本 本文の始り部分 ラテン語とギリシア語の対訳

      欄外には 異読を示し、自説は本文と分離するという編集方針でまとめられた。

 

 

 

         AIが翻訳した索引のエクセル表はこちら 

          注:   AI翻訳の索引については、なんのチェックもしておりません。単にMicrosoft Copilotに翻訳させてまとめたものですので、信頼性には問題があります。ご承知おきの上、ご覧ください。