研医会通信  141号 

   2017.3.6
 

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研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。 この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 『東校医院治験録』 です。

東校医院治験録

 幕末から明治の初めにかけては融訳医書の出版が俄かに増加するようになったが、速報性の面では成書より雑誌型式の方がより効果的であるので、その型式のものが次第に多く出版されるようになった。その類としてはウイリス ( William Willis, 1837~1894)氏の東京医学校における講義を訳出した『官版日講紀聞』などが早期にみられた。また、いわゆる医学雑誌として取扱われているものには『文園雑誌』(田代基徳: 輯 明治6年6月刊)、『医事雑誌』(坪井信良: 編 明治6年11月刊)などが挙げられる。

 『東校医院治験録』は、明治4年(1871)8月来日したミュルレル(Leopold muller、1924~1893)、ホフマン(Theodor Eduard Hoffmann、1837~1894)両氏が東校医院において行った講義、治療の記録を印刷に付した一部で、明治5年(1872)正月、須原屋伊八、 島村屋利助より発刊された。

 本書の緒言には以下のような発行の趣旨が述べられている。

 「……地僻二路遠シテ其説ヲ典聞スルヲ得サルモノ亦遺憾少ナカラス、因竝校中〇(=足+忝)急ノ暇側ラ姆有禮、忽布満二氏ノ説諭治療スル所井セテ院中一二執ヒノ治験ヲ表章シ片々采入ノー小冊子卜爲シ以テ之ヲ世二公ニス……」

 本書は11巻11冊が発行された模様であるが、各巻40~50葉、四周単辺、無界、毎半葉9行毎行17字詰、片仮名交り、和文、木板和綴(22.6×15 2cm)で、内容は内科及び外科の患者を対象に各種の疾病の治験を記したものである。

 東校はその後、明治7年(1874)5月に東京医学校と改められているが、明治8年(1875)11月、東京医学校編輯による『医院雑誌』が発刊された。これは『東校医院治験録』を補足充実し、名を改めて発刊されたものであるが、その創刊第1巻に掲げられた緒言に佐々木東洋(1839~1918)氏は次の如く述べている。

 「一〇(響の下が「向」)二編纂スル所ノ医院治験録若千巻、教師病沐ノ講義卜治験トニ就テ其理論ヲ実際二徴シ、彼此完全偏向ナキモノヲ撰ミ之ヲ登録ス、然ルニ其遺レテ収メサル所片言双語ノ大二刀圭二切要ナル者アリ.故二今其成規ヲ更メ我医院二経験スル所及ビ欧米ノ医籍ヨリ考證二供ス可キモノヲ鈔訳シ、瑣々ノ小事卜雖モ荀モ医術二関渉シ世二稗益アルモノハ咸ク之ヲ采収シ改テ医院雑誌卜命ク」

 『医院雑誌』は東京医学校の編輯により明治8年 (1875)11月に創刊され、以降月刊の形で発行された。 即ち 巻1(明治8年11月出版) 巻2( 〃 12月〃 ) 巻3(明治9年1月出版) 巻4(明治9年2月出版) 巻5(明治9年3月出版) 巻6(明治9年4月出版) 巻7(明治9年5月出版) 巻8(明治9年6月出版) 巻9(明治9年7月出版) 巻10(明治9年8月出版) 巻11(明治9年12月出版)

 本誌は11巻11冊が発行されたものとみられるが、各巻平均50~60頁、毎頁四周双辺、無界、9行、25字詰、片仮名交り、和文、鉛版、洋綴(21×13.5cm)で、内容は『医院治験録』同様の編集であるが、内科、外科及び眼科の治験が所載され、巻末に鮮明な図版を附 している。その巻6(明治9年4月出版)には安藤正胤(小田原の人、1847~1926)氏による層障眼治験が報告されている。この治験例の患者は熊谷県平民、志村某(年齢12歳)であり、治験は現症、治法、注意等の順で記述されている。治験の記述中には“朱氏日"“朱氏診日"と度々でているので、 シュルツエ(Schultze)氏が診察に当ったことが窺える。シュルツエ氏は層障眼について、“此症ハ水晶体二渾濁ヲ生スル者ニシテ、之ヲ層障眼卜云フ"と述べている。安藤正胤氏の この層障眼治験は、明治8年(1875)5月5日に東京医学校医院に来院した患者の治験であるので、安藤正胤氏が浪速仮病院から東京医学校へ転入してミュルレル氏、 シュルツエ氏の助手となって眼科を修めた後に経験した治験と思われる。

 このように『東校医院治験録』は明治初年頃の東校における外国人教師の講義および治験を記録したものであるが、さらにこの治験録は改名されて『医院雑誌』 となり、逐次刊行物の型式で東京医学校より発行された。明治初年に発行された治験録に限科の治験が掲載された1例として本書を紹介した。

 

 

主な参考文献

・東京帝国大学: 東京帝国大学五十年史 (上)355 東京帝国大学、1932

・鈴木要吾: 蘭学全盛時代と蘭畴の生涯223 東京医事新誌局、 1933

・日本科学史学会: 日本化学技術史大系(24)医学1.349.1965

・小川鼎三: 東京大学医学部百年史14東京大学出版会、1967

・宇山安夫: 阪大眼科学教室開講六十年史20 大阪大学医学部眼科、 1955

・宇山安人: わが銀海のパイオニア10 千寿製薬、 大阪、1972 阿知波五郎:近代日本外科学の成立 175 日本医史学会、1967

・小関恒雄: 御雇教師ミュルレルとホフマン(一)日本医史学雑誌29(3)271日本医史学会、1983

 

 

 

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図1 図1 東校医院治験録 外装 明治5年(1872)官版

 

 

図2 図2 図1同書 扉及び緒言

 

 


図3 図3 医院雑誌 表紙 東京医学校編輯出版

 

 

  

図4 図3同誌 巻6 層障眼の治験