研医会通信  146号 

 

 2017.8.23
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研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。
この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 『眼科学 』 (上・中・下) 河本重次郎: 著 です。

『眼科学 』    河本重次郎: 著

 わが国の幕末から明治の初めにかけては、欧米の医書の翻訳が盛んに行われたが、本邦人自らの著述は稀で、 ことに眼科学の分野に至っては極めて少なかったようである。本書は19世紀末より20世紀初めにかけての邦人原著の眼科書として、わが国で最も多く版を 重ねて出版されたものである。

 本書の著者、河本重次郎(1859~1938)氏については揺籃期の日本近代眼科の父として、あまりによく知られた人であるが、明治18年(1885)眼科学研究のため、宮下俊吉(1860~1900)氏、大西克知(1865~1932)氏等とともにヨーロッパに留学し、マンツ(Willhelm Manz)氏、 ミッヘル(』uliuS VOn Michel)氏およびフックス(Ernst Fuchs)氏等に師事し、その実証的な眼科研究に共鳴して、明治22年(1889)3月、留学を了えて帰国し、同年6月1日に帝国大学医科大学の教授に任ぜられ、その10月より眼科学講義を担当した。講義は、眼科学講義、検眼鏡用法、臨床講義、外来患者臨床講義(但し、検眼鏡用法は甲野来助教授、明治36年以降、中泉行徳助教授受持)の4科目であったが、河本教授は就任してから数年間は教科書として特にまとまったものは用いなかったようで、恩師マンツ教授の外、西欧眼科の碩学の著書を取捨して講義案を作成して学生に授けたと伝えられている。特にウィーン大学の教授フックス氏の眼科学 (Lehrbuch derAugenheilkunde、 Leipzig、ヽVien、 1889 年千』)に負うところが少なくなかったと言われている。

 著者は本書の序に次のごとく述べている。 「予ハ窃二思フ、良書二二類アリ、一ハ密ニシテ、一切総テノ事理ヲ言ヒ蓋セル者、是レ千歳一遇只ダ大巻ノ書二望ム可キナリ、一ハ簡潔ニシテ緊要ノ総テヲ漏ラサザル者、是レ予ガ予ノ書二期望スル所ニシテ、予ハ之二依テ既成ノ医家、後進ノ学士二実用的好本ヲ授 ケ、眼病ノ症状ヲ照然タラシメ、眼病ノ理義ヲ貫徹セシメ、療法ノ適用ヲ過誤ナカラシメント思考セリ」

 こうした臨床の知識と経験を第一義とした考えで、 「アリトアル総テノ成書ノ中二最モ高ク饗ユル者」、良書を著わそうと思い、暇あるたびに筆を執り、全稿が成って、明治26年9月から同27年にかけ出版されたのが本書である。

 本書は上中下巻、全3冊よりなり、片仮名交り和文の活版洋綴(225×15cm)で、上巻は明治26年9月、中巻は同年11月、下巻は翌27年2月にそれぞれ初版が自家出版された。 上巻には眼科総論より眼瞼、涙器、結膜、角膜、撃膜の諸篇を述べ、中巻には視機、検眼鏡の検査を初めとし、葡萄膜、網膜、視神経並びに弱視の諸篇を述べ、下巻に硝子体、緑内障、水晶体篇を初めとし、屈折機、眼筋篇を記し、眼官篇にて終っている。各巻とも図画は頗る多く挿入され、大半は英、仏、独の成書中より抜選し、著者自身の新作のものをも加えたとしている。

 このように本書の内容は上中下巻を通して18篇に分けて述べられたものであるが、明治26年より昭和3年に至る約35年間に21版を数え、その間に各巻の改訂が行われ、6版、15版、20版を例に改訂頁数の増減を示すと表1の通りである。

 また、各版の序文に示された改版の経過を一瞥すると次のごとくである。

第2版:  上巻1000部摺売切、大いに改良すべき章なく再版は初版の如し。

第3版:  増補改良し、図画は増倍、第3版は大いに面目を新にす。

第4版:  第3版のまま。

第5版:  新説を採り、文章改正を加え、図画は取捨増人、1500部招。

第6版:  改正なし。

第15版: 増補改言Iに努め、日進の学術に伴はんことを期す。

第19版: 小改版し、小図を設け、上欄に差し加え読者の便に供す。従前の書と大いに異ることなし。

第20版: 小改訂を加え、小増補を行う。

 

 本書は、毎年の如く改訂出版され、当時の西欧諸国の最高水準と考えられる眼科学の知識の主なものをあますところなく紹介し、著者自身の研究成果や本邦眼科研究者の新説をも広く採り入れたとしている。また、本書は眼科臨床面を第一義としている中にも著者自身の地歴等博学の知識と個性的叙述によって特徴づけられているといわれる。

 本書は榊椒纂訳、河野衝、甲野茉校正の『眼科学』(明治14年刊)と小川剣三郎著『近世眼科学』(明治40~42年刊)との間に著された、いわば明治期三大眼科書の一つに挙げられ、初版以来帝国大学医学部の教科書に用いられるとともに、明治、大正期におけるわが国眼科学研究者必読の名著として知られている。

 

 

主な参考文献

堤 南天:     医書の翻訳に就て.中外No.254、1117、中外No.255、1173.東京、1890

河本重次郎:  予の師マンツ先生の逝去、マンツ先生の小伝.日眼44:627~ 629。 (眼科小言)東京、1911

河本重次郎:  フツキス先生来邦。日眼27:297. (眼科小言)東京、1923.日眼35:No 2~ 5附録、1931

河本重次郎:  回顧録。東大眼科、河本先生喜寿祝賀会.東京、1935 `

山賀 勇:     眼科の栞、 日本の巻 半田屋出版部、東京、

岩崎克己:    河本重次郎伝 長崎書店、東京、1943.

庄司義治:       河本重次郎―わが師わが友(31)一、 日本医事新報No.1273、13、東京、1948

福島義一・山賀勇: 日本眼科全書1、眼科史.金原出版、東京、1954

小池 重:     河本重次郎先生、医方五十年27、 (帝国大学医科大学の諸先生を追憶)東京医事新誌、73:55、東京、1956

日本医事新報: 河本先生の思い出、生誕百年記念。日本医事新報社、東京、1958

杉田 直:     作郎自伝(9)、根(杉田正臣主宰)、No lll、宮1崎1972

宇山安夫:    わが銀海のパイオニア130、千寿製薬、大阪、1973

増田寛次郎:   東京大学医学部眼科学教室百年史、39、東大眼科創立百周年記念会、1989

中泉行徳:    東京帝国大学医科大学眼科教室病室略史.日眼17:159、東京、1913

 

 

図1  眼科学(上中下巻) 表紙  明治31年刊 (第6版)

 

 

 

図2  『眼科学』 より 眼瞼血管之図

 

 

図3 『眼科学』 河本重次郎 自序 明治26年

 

図4 河本重次郎 自序続き

 


図5 河本重次郎 自序 識 及び6版序言



中泉、中泉、斎藤 1990