この本は井上達七郎氏(1869~1902)の纂著で、明治27年(1894)8月に刊行された眼科衛生学の書である。その凡例によれば、本書はドイツ国のドクトル・コーン氏の著書を経とし、 ドクトル・ペルリア氏の著書を緯となし、その他晋く斯学の諸書を参酌して纂訳したものであると識されている。コーン氏(Hermann Chon)の著書 (Lehrbuch der Hygiene des Auges、
1892)からは挿図なども引用されている。
本書は252頁、全1冊(22×15 cm)よりなり、本文は片仮名漢字交りの和文にて綴られ、本文中には精巧密画18図を挿入した活版本である。本書の内容は全体を16章に分け、附録にて終っているが、目次によって抄記すると以下の通りである。
眼科衛生学 目次
1. 眼目
2. 初生児化膿性眼炎
3. 成人化膿性眼炎
4. 結膜加答児
5. 顆粒性結膜炎(トラホーム)
6 近視眼
7 遠視眼
8. 老視眼
9. 腺病性眼炎
10. 痘瘡者ノ眼病
11. 梅毒性眼病
12. 眼球損傷
13. 中毒性弱視
14. 血族結婚二因スル眼病
15. 手淫二因スル眼病
16. 劇光線
附録 色盲 眼鏡ノ注意
著作者井上達七郎氏の病に対する第1の心得として、「病ミタルヲ治センヨリハ病ムヲ防グニ如カズ」とされ、本書の各章に挙げられた眼病については、その症候、原因、予防および治療法の順に記述され、予防法については特に詳細に述べられているようである。第5章はトラホーム(顆粒性結膜炎)、第6章は近視眼について記述されたものであるが、トラホームは恐るべき伝染性の眼病であることをとき、その原因、予防法について言及している。予防法は本症の発生する場所、例えば軍隊、学校、個人等によりそれぞれの予防法が実施されなければならないとされている。また、近視眼については発生、原因、および予防法の順に記述され、その予防法について、さらに、体位(椅子、机)、採光(日光、光線の増加法、人工輝照法、瓦斯光、電燈)、顔面直位支柱器、寫字、学校器械、遺伝、職工の近視眼、附言等に関して図入で詳述されている。
井上達七郎氏は早くから眼科衛生学的見知からトラホーム治療の重要性を説いてきたが、欧州留学を機に、世界的な細菌学者で、 トラホームに関しても世界的権威者であつたライプチッヒ大学のザットレル教授に師事したこともあり、当時の日本におけるトラホームに関する先駆者の1人となった。明治32年(1899)出版の『通俗眼病トラホーム講話』はその第1作といわれる。
このように『通俗眼病トラホーム講話』は日本のトラホームに関する初期の文献として挙げられている。『眼科衛生学』もまた、わが国の眼科衛生学の第1書に挙げられると思われる。
著者井上達七郎氏は明治2年(1869)、静岡県浜名郡篠原村に生れ(本姓中山榮太郎)、済生学舎に学び、後井上達也(甘泉)氏に師事、その養子となり、達七郎と改めた。明治28年(1895)ドイツ国ライプチッヒ大学に留学、ケハイムラート・ザットレル教授に師事、明治30年(1897)12月、 ドクトルの学位を得て帰国、井上眼科病院長に就任した。明治31年5月14日、井上眼科同窓会を創立し、同年『井上眼科同窓会会報』第1号を発刊した。(明治36年1月1日、第21号にて終刊)、また、この年井上眼科病院夏期講習が初められ、これは眼科の講習会として、わが国最初の試みであった。(『井上眼科病院百年史』)
井上達七郎氏の主な著作は以下の通りである。
『井上眼療書眼底病篇図譜並図解』(明治26年)
『眼科衛生学』(明治27年)
『フックス氏眼科全書』(明治27年)
『検眼鏡用法』(明治28年)
『眼病トラホーム講話』(明治32年)
『療眼宝函』(明治33年)
この他、『井上眼科研究会報告』並びに『井上眼科同窓会会報』には多数の研究論文、報告が発表されている。
●主な参考文献
井上眼科研究会: 井上達也先生伝.井上眼科研究会報告、No.15~ 16東京、1895
井上眼科同窓会: 井上達七郎先生小伝、井上眼科同窓会会報、V。1.21、東京、1903
福島義一: 日本眼科全書.V01.1.眼科史159、東京、金原出版、1954
宇山安夫: わが銀海のパイオニア.50、大阪、千寿製薬、1973
井上治郎: 井上眼科病院百年史.85、東京、井上眼科病院、1983
図1 『眼科衛生学』(明治27年)
図2 『井上眼療書眼底病篇図解』 巻上・下(明治26~27年)
図3 『井上同窓会会報』
中泉、中泉、斎藤 1992