明治の初め頃、売薬の目薬“精錡水"が時代の脚光をあびて、爆発的に世上に販売されたという話はあまりにも有名である。
その目薬というのは、ヘボン式ローマ字で有名なヘボン(J C Hepburn、1815~1911)博士の処方により、岸田吟香(岡山の人、本名、銀次、1833~1905)氏が調製した目薬で、「ヘボン処方集」(明治3年発行)によれば、Zink l: 水450の割合で杵えた(今日のチンク水、硫酸亜鉛水)もので、“精錡水"と名付けられたといわれる。精錡水の精錡はZinkの中国語の当て字であって、“シンキ"と読むのが本当であるとのことである、 と。(根本曽代子氏、木村泰三氏)
かように精錡水の販路が、わが国をはじめ、中国、上海方面にまで広められて行ったのは何故だったのだろうか。もちろん目薬としての効用があつたからこそ需要も著しく伸びたのであろうが、岸田吟香氏には生来のジャーナリストとしての天分と商才があり、 これらをたくみに生して精錡水の宣伝を行ったので、その販路が益々広められたといわれている。
明治8年(1875)には東京銀座2丁目1番地に精錡水調合所(楽善堂薬舗)を設け、 また、中国。上海にも同様な販売所を置き大規模に売出した、 と伝えられている。こうして次々と取次請売所が設けられて、精錡水の売れ行きは順調であつたが、「近頃追ひ追ひ我が精錡水と同名または似寄の類薬を製造発売する者あり…」とその広告に掲げられているように、精錡水とは別に官許の目薬“明治水"という目薬が売出された。
さて、その“明治水"とはどのような目薬として広告されたのであろうか。そこで、上総国長者町、箱屋周蔵取次売弘所の官許目薬精錡水と上総国夷隅郡中魚落郷住、浅野厳三調合所の官許目薬明治水の両広告の文面によって考えてみよう。
官許 目薬 精錡水 壱瓶=付金壱朱
「此御目薬は美国の大医平文先生より直伝の名方にして、日本国中ただ岸田氏一家の外には決して類なき妙薬なり、是まで日本においても種々の目葉あれども多くは粘りたる煉薬の類にて却て目の害となること少からず、今この精錡水は澄明無色の水剤にして実に目薬中の第一等なる者なれば功能の著明なるは素より諸人の知る所なり。
のぼせ目 かすみ目 つき目 ち目 はやり目 ただれ目 目ぼし等によし 又瘡毒眼
さかまつげ 小児のむし目にもよし
近頃この精錡水と同名または凝似の名を付たる目薬を賣る者ある由に付き御求めの御方々は能々御吟味なし下され(東京銀座2丁目1番地 岸田吟香)の記号御見認の上にて御求め成さるべく候、若し間違て他の偽薬を用ゐ成された時は只その功能なき而己ならず或は大害を受るに至らんも計り難き旨を本家よりも屢々報告あり、故に謹んで爰に一言を述べて以て光顧の諸尊に布聞すと云ふ。」
官許 目薬 明治水 壱瓶=付債金六錢
「この御目薬は西洋大医の発明したる名方にして従前我国にありふれたる賣薬の類にあらず実に古今無比の良剤なり、今般薬性御検査の上官許を得たり、因て弥々精良の薬品を撰専製法に注意し広く販賣仕候間御購求の上神効の速なるを御試下さるべく候。
はやり目 かすみ目 つき目 うち目 ほし目 のぼせ目 ち目 はれ目 ものもらい
小児のむし目 等によし
取次請賣を成されたき御方々は私方迄御申越下され候はば速に明治水官許御鑑札の寫并請賣約定書、その外取次賣弘方規則書および看板引札の雛形類差上申べく候間賣捌方御盡力下さるべく候」
この両者の広告文から次の事柄が読みとれる。
薬名 |
精錡水 |
明治水 |
官許 |
有 |
有 |
処方 |
平文 |
西洋大医 |
価格 |
1朱(1瓶) |
6錢(1瓶) |
主治 |
のぼせ目 つき目 はやり目 目ぼし かすみ目 瘡毒眼 ただれ目 ち目 さかまつげ 小児のむし目
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のぼせ目 つき目 はやり目 うち目 かすみ目 ほし目 はれ目 ち目 ものもらい 小児のむし目
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用法 |
毛のやわらかなる新し き筆か或は鳥の羽にて 朝、ひる、晩と1日に 3度づつ目の内に點す
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其他 |
偽薬、類似薬に御用心 |
明治水購入の勧め、取 次請売所勘誘 |
つまり、明治水は精錡水を真似て造り出された類似品の目薬であったように思われる。
ヘボン博士の処方による目薬には、牧野久米氏夫妻(神奈川在住のキリスト教徒)のためにヘボン博士が帰国に際し特別に目薬の調合法を書き、これを売薬として生活の一助とするよう、横浜の里見という薬店から売出されたヘボン目薬があった(小川剣三郎編、眼科史料)また、精錡水の類似薬に同名の精錡水の外、朗明水とか晴光水(松原広、松原広樹著、眼科風土記)があったといわれる。明治から大正にかけて天下の売薬めぐすりとして以上の外、元祖安の目薬、 ロート目薬、壮眼水、大学目薬、神霊水、ゴールド、星光眼薬、一點水、立山様目薬、アドラ、官許目洗薬、ホシ眼薬、一滴目薬、最新目薬センリー、ドクトル桑原氏貼眼水、眼科薬王天下一品塚田目薬(『眼臨』記事)等々が売り出されたという。
●主な参考文献
桑原勇七郎(編): 天下之売薬 眼臨9:254、1914
同上: 天下之売薬(続)眼臨10:74、1915
小川剣三郎: ヘボン 実眼5: 244、1922
同上: 目薬精錡水功験書(上中下)
実眼9: 57、123、197、1926
同上: 日本最初の施療病院
実眼10: 319、1927
同上: ヘボン先生伝 実眼11:73、1928
同上: ヘボン目薬 実眼11:471、1928
河本重次郎: 眼科に関する広告の1、 2
ロート目薬 明石の目薬
日眼41: 附録8、1937
再生外骨: 目薬の広告新聞 実眼13:47、1930
高谷道男: ドクト・ヘボン、207、東京、1954
同上: ヘボン、108、吉川弘文館、東京、1961
花咲一男: 絵本江戸売薬志、近世風俗研究会、1956
木村泰三: 岸田劉生の「切り通しの写生」―附、 まぼろしの点眼薬「精錡水」メモ―日本医事新報No.3112、67~68 東京、1983
松原 廣・松原廣樹: 眼科風土記 147、 綜文館、 大阪、1986
図1 目薬 精錡水の広告 (上総長者町 箱屋周蔵 取次売弘所)
図2 目薬 明治水の広告 (上総夷隅郡 浅野厳三 本家調合所)
図3 精錡水購入代受取書(覚) (明治13年 精錡水本店発行)
中泉、中泉、斎藤 1992