研医会通信 192号 

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2021.4.27

今回は 謨私篤(モスト)治療集成と謨私篤黒障眼 です。

 謨私篤治療集成と謨私篤黒障眼

  わが国の和蘭医方は幕末に及んで漢方に代わって著明な発達を遂げ、蘭医方をもって一家をなす医家もますます多くなった。また、諸家の間では翻訳の業を起こし、西洋の医学を翻訳書によって学ぼうとするものも次第に増加した。

 

 こうした時期、天保5(1834)年5月、林洞海(豊前、小倉の人、名は彊、字は健卿、洞海、また新斎、 また冬皐と号す、 佐藤泰然の女婿、1813~1895)は医学修行のため江戸に出て、足立長雋(1776~1836)の塾に入門した。

 

 掲出の『謨私篤治療集成』(図1)は、その巻頭、巻尾に『洞海林先生席上之訳、諸書生席上筆記、安政6(1859)年3月写干存誠斎塾中、戸田立信』とあり、林洞海が翻訳したものを、その後、安政6年に戸田立信が書写したものと思われるが、同じく、『謨私篤黒障眼』(図2)なる写本(書写年代不詳)との係わりについて調べた。

 

 本書は巻1-2(118葉)、巻3-5(131葉)の2冊(23.7×16.5cm)、四針和綴より成り、本文は漢字、片仮名混合の和文で書かれ、その内容は、各巻の目次によれば以下に掲げる通りである。

 

 

<謨私篤(モスト)巻之一目次>

断嬭之説

堕胎薬

半産

歯結石掃除説

腸瘍

乳房腫瘍

寒腫

歇私篤性腺腫

清潔剤

五色不明症

羊眼

病因学

感惕

亜斯黙

酷厲薬

鍼療之説

熱性病

腺焮衝

内臓癒荅

臣佐使薬

収斂薬

衰弱

子宮風氣腫

乳汁缺乏

血瘍

製酸剤

肥胖

無渇

無味症

不寐症

 

 

<穆私篤(モスト)巻之二目次>

消毒薬

毛髪脱落

苦味薬

黒障眼

痴呆

記憶力衰弱

血液不足

亜邦謨涅失斯

皮膚之觸知滅絶

無語之症

眼瞼癒着

舌癒着

骨節強血

刺衝桟滅絶

動脈貌僂倔

脈管拡張

 

 

<母私篤(モスト)巻之三目次>

咽喉焮腫

止血剤

英咭利汗熱

鎮痛剤

食欲缺損

 

 

<穆斯篤(モスト)巻之四目次>

無嗅

安荅護吶斯繆私

淫慾大過ヲ節制スル薬剤

喘息ヲ治スル薬剤

鎮吐剤

癩癇ヲ治スル薬剤

殺虫剤

薬餌嫌悪

殺虱剤

防焮薬

治労薬

防腐薬

治熱薬

失荀児陪苦ヲ治スル薬剤

癰疸

癌瘍ヲ治スル薬剤

腐骨疽ヲ治スル薬剤

子宮病ヲ治スル薬剤

狂犬毒ヲ消スル薬剤

苦悶

アハントロヒア

開達薬

食不能嚥下不能

無語ノ症

陰痿ヲ治スル薬

鵞口瘡

呼吸絶

腺病ヲ治スル薬剤

反対刺戟

鎮痙薬

反対刺戟及ビ導池ヲ爲ス薬

齲齒痛薬

 

 

<穆斯篤(モスト)巻之五目次>

胃焮衝

其一 急性胃焮衝

其二 須祓鳩谷胃焮衝

其三 慢性胃焮衝

睾丸水腫

 睾丸ノ包膜間二水液潴留スルモノ

歯痛編

 

 

 

 このように本書は治療薬剤、 歯痛編まで含む医科全般にわたって記述されたもので、各巻の目次の中、病症のくだりには徴候、経過、識別、原因、預後、療法の順に記載し、薬剤についてはその処方が記されている。

 

 本書の書名は『謨私篤治療集成』となっているが、謨私篤(Georg Frieddch Most、 ドイッ人、医師、1794~ 1832)の著作中、いずれの著作を翻訳したものか明らかではない。

 

 本書は林洞海の席上之訳、諸書生席上筆記とあるが、洞海は医学修行のため、天保5(1834)年5月、21歳のとき江戸に出て、その8月、足立長雋の門に入り、その後、23歳のとき長崎、26歳のとき江戸、28歳のとき長崎などにたびたび遊学し、天保14(1843)年江戸に戻り、薬研堀の佐藤泰然(1804~1872)の旧廬に開業している。この天保5年から同14年の間に本書の翻訳がなされたものと考えられるが、掲出本は安政6(1859)年3月、在誠塾において戸田立信によって書写されたものと思われる。

 

 『謨私篤黒障眼』(謨私多、穆斯篤とも書かる)(図3)は本文が漢字、片仮名混じりの和文で書かれた写本で、上下2か所をコヨリで綴った、全1冊24葉(24.5×17cm)の冊子であるが、内容は以下のような見出し項目により記述されている。

 

 

『謨私篤黒障眼』目次

五色不明之症

羊眼

黒障眼

黒障眼眉部創傷ノ後二発スルモノ

〃 池血壅閉二由テ発スルモノ

〃 大創二由テ発スルモノ

〃 過用二由テ発スルモノ

〃 梅毒二由テ発スルモノ

〃 手淫或ハ情慾大過ヨリ発スルモノ

〃 頭汗閉塞ノ後発スルモノ

〃 胃寒閉塞二由テ起ルモノ

〃 腸胃穢物ヨリ発スルモノ

〃 痛風二由テ発スルモノ

〃 因ヲ腹部二資スルモノ

〃 子宮二因起ルモノ

〃 大病癒テ後ノ衰弱ヨリ来ルモノ

〃 頭部ノ瘡疹速二治二由テ発スルモノ

〃 足汗閉塞ノ後発スルモノ

〃 〇(桜のきへんがにんべん)麻質私二因テ発スルモノ

 

 

 この『謨私篤黒障眼』なる写本の内容は、前記の『謨私篤治療集成』巻之―に所載される五色不明症、羊眼、巻之二に所載される黒障眼の内容と同一のものであり、『謨私篤治療集成』の眼科に関する部分を抜書して新たに『謨私篤黒障眼』と書名を付けたものと思われる。

 

 このように『謨私篤黒障眼』は『謨私篤治療集成』の眼科部門をまとめたものとすれば、モスト原著を林洞海が翻訳したものとみることができ

る。

 

 黒障眼についてはわが国でも古くから知られ、漢名を黒内障、和名をくろそこひ、洋名をAmaurosis、訳名を黒内翳、黒内障、黒障眼といわれ、此病は視覚の不全なるものにして、其原因は網膜、眼神経、脳髄、或は第五対神経等の変常に因て起るものとす、而して其軽きものを指して弱視という(落合泰蔵纂著『漢洋病名対照録』)、と理解されていたようである。

 

 また、『謨私篤黒障眼』に記述された“五色不明之症"の「眼物ヲ視テ其色ヲ弁スルコト能ハス」云々とあるのは19世紀初頭における色覚論(今日の色覚特性)に言及したものだろうか。

 

 文政6(1823)年シーボルト(P.F.von Siebold、1776~1866)が来日するようになってからは、本書のような翻訳書は単なる机上の訳本にとどまることなく、実地治療などの進展とともに一層その内容が確実に理解されるようになった。

 

 以上『謨私篤治療集成』と『謨私篤黒障眼』との係わりを述べたが、『謨私篤黒障眼』には『蘭謨私多医療大全 巻之三』、『謨私多黒障眼門』、『謨私多黒障眼療法』などの書名のついた写本も出ている。

 

 

  図1 『謨私篤治療集成』表紙 

 

 

 

   図2 『謨私多黒障眼門』 表紙

 

   図3 『穆斯篤黒障眼』表紙 

 

主な参考文献

1)落合泰蔵: 漢洋病名対照録。英蘭堂、1883

2)村上一郎: 蘭医佐藤泰然 ―その生涯とその一族門流―. 房総郷土研究会、1941

3)藤井尚久: 明治前本邦内科史(明治前日本医学史第3巻). 日本学十院、1956

4)藤井尚久: 本邦(明治前)著明医略伝(明治前日本医学史第5巻). 日本学士院、1957

5)篠丸頼彦: 佐倉藩学史. 千葉県立佐倉高等学校、1961

6)東大総合図書館編纂・発行: 古医学書日録.東大総合図書館、1978

7)順天堂編纂・発行: 順天堂史 上巻.順天堂、1980

8)奥沢康正: 今昔眼科病名対照表. 日本の眼科64:621、1993

 

 

 

 

  斎藤仁男  中泉行信  中泉行史  2001