研医会通信 198号 

研医会トップ 研医会図書館眼科
漢方科交通案内法人情報
 

研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。
この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

2021.11.4

今回は flesの解剖書についてのご紹介です。

「布列私解剖図譜」とその附図

 

『布列私解剖図譜』とその附図はフレスの解剖書(J.A.Fles:Handleidin Aot de stelsellnatige beschttende Ontleodkunde van den Mensch.Utrecht、1866)を大阪鎮臺病院医員の中欽哉(定勝)が訳述した翻訳書といわれている(小川鼎三)。

 

 本書は『布列私解剖図譜』と『布列私解剖図』2冊一組よりなり、 ともに明治5年(1872)初夏新鐫の思々齋蔵版本である(図1、2)。

 

『布列私解剖図譜』(完)は四針和綴1冊で、21.5×15 cm、88葉、四周双辺、有界、毎半葉10行、 漢字仮名交りの和文で、『布列私解剖図』(完)は折本装28折1冊で、21.5×15 cm、図版55頁、第1図(管骨之縦断)から第246図(腰神経叢薦骨神経叢及其諸枝)は銅板無着色の図版(青野桑州図?)からなっている。

 

 本書に所載の眼の解剖図は第109図から第121図であって、各図の説明を漢文にて記載し、さらに各部分の名称を数字あるいは“いろは"記号をもって細かく説明している(図4および表1)。

 

 本書はこのように1866年に発行されたフレスの蘭書(原本は独国?)が6~7年を経て1872年に翻訳され、その内容が紹介されたものである。

 

 本書の訳述者である中欽哉は、石州安濃郡太田村、医家、安藤文達の孫、退蔵の悴で、壮にして緒方洪庵の適々齋塾に安政3年(1856)3月9日に入門し、出藍の替あり、維新後大阪鎮墓病院の医員となり、また、医学校の創立に参与して功労あり、病院医官より次いで陸軍軍医となり、かたわら大阪にて医業を開いたが転じて判事となり、再転して実業家となった。また、中家の系譜からみると、中環(天瀞)の二男耕介と、中伊二郎の長女テツとの間に生まれた貞子の養子となり、中家を継いだ。中伊二郎は中環の従弟で、中伊二郎が大阪の従兄中環を頼り、同居中銅版の墓刻を工夫し、 これに成功し、中環とともに『把而身湮解剖図』(文政5年出版、図5)を翻刻したことは周知の通りである。これは当時の図譜の中でも最も精緻明瞭を極め、識者の賞嘆を博した貴重な著書である(緒方富雄著『蘭学のころ』による)。

 

 本書はこうした家系の一員としての中欽哉によつて訳述されたものと考えられる。また、布列私の解剖書が長崎精得館教頭、和蘭11等医官、満私歌爾度(マンスフェルド)の講義に用いられているところから(図7)、明治初年の翻訳解剖書として重要視された貴重な一書であったと思われる。

 

 

主な文献

緒方銈次郎:『緒方洪庵と足守』1927年

緒方富雄:『蘭学のころ』.弘文社、1951年

小川鼎三:『明治前日本医学史、第1巻、日本解剖学史』、日本学士院、1955年

 

 

 

図1『布列私解剖図譜」の扉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  斎藤仁男  中泉行信  中泉行史  2002