研医会通信  202号 

 2022.2.25
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今回は 「『養生訓』と目の衛生 」 です。

 

『養生訓』と目の衛生 

 

『養生訓』は世上にあまりにもよく知れわたった名著である。本書は貝原篤信(1630~1714)が84歳の正徳3(1714)年に成ったもので、人間生活の衛生保健の法を述べ、通俗な教訓に資したものである(平凡社大百科事典)。

 

 本書の第5巻は五官、二便、洗浴の項目を挙げたものであるが、そのうち、五官に含まれる目の養生についての部分を紹介する。

 

 掲出本は全8巻8冊よりなり、八十四翁貝原篤信書なる後書がある、正徳3年永田調兵衛の版行である。各冊は四周単辺の匡郭、無界、毎半葉10行、毎行字数不定、漢字平仮名交り和文、四針和綴(22 cm×16 cm)、摺題察貼付のものである。

 

 各巻の目次は次の通りである。

巻1. 総論 上

巻2. 総論 下

巻3. 飲食 上

巻4. 飲食 下 慎色慾

巻5. 五官.二便、洗浴

巻6. 慎病、擇医

巻7. 用葉

巻8. 養老、育幼、鍼、灸法、後書

 

 五官とは耳、目、口、鼻、形(頭身手足)の5個で、「きく、見る、かぐ、物いひ、物くふ、うごく等、各其事をつかさどる職分ある故に五官と云ふ」とある。ここで、本書の目に関して記述している部分を挙げると以下の如くである。

 

「めがねを靉靆(あいたい)と云。留青日札と云書に見えたり。又眼鏡と云。四十歳以後は早くめがねをかけて、眼力を養なふべし。和水晶よし、ぬくふにきぬを以両指にてさしはさみてぬぐふべし。或羅紗を以ぬぐふ。硝子はくだけやすし。水晶におとれり。硝子は燈心にてぬぐふべし。

 

 牙歯をみがき、目を洗ふ法。朝ごとにまづ熱湯にて目を洗ひあたゝめ、鼻中をきよめ、次に温湯にて口をすゝぎ、昨日よりの牙歯の滞を吐すて、ほしてかわける塩を用ひて上下の牙歯とはぐきをすりみがき、温湯をふくみ、口中をすゝぐ事二三十度、其間に、 まづ別の碗に温湯をあら布の小篩を以こして入れ置、次に手と面をあらひおはりて、口にふくめる塩湯を右のあら布の小ふるひにはき出し、 こして碗に入、其塩湯を以目を洗ふ事、左右各十五度、其後べちに入置たる碗の湯にて、 目を洗ひ、口をすゝくべし、是にておはる。毎朝かくのごとくにしておこたりなければ、久しくして牙歯うごかず、老てもおちず、虫くはず、 目あきらかにして、老にいたりても目の病なく、夜細字をよみ書く。是目と歯とをたもつ良法なり。こゝろみて其しるしを得たる人多し。予も亦此法によりて久しく行なふゆへ、其しるしに、今八十三歳にいたりて猶夜細字をかきよみ、牙歯固くして一つもおちずめと歯に病なし。」

 

 貝原篤信は本書の後書に「禺生昔わかくして書をよみし時、群書の内、養生の術を説ける古語をあつめて門客にさづけ、其門類をわかたしむ、名づけて『頤生輯要』と云う。こゝにしるせしは其要をとれる也」と記述されているように、本書にはこの『頤生輯要』が多々採り入れられている。

 

『頤生輯要』(5巻5冊)は、貝原篤信が諸書を渉猟中、保命長寿などに関する論述数百項を抄録し、十二門に分類した衛生保養の指示書で、門人竹田定直が編次し、正徳元年(1711)、同3年(1713)に貝原篤信の自序、自跋を付して、同4年(1714)に永田調兵衛により刊行された(佐村八郎: 国書解題)。

 

『頤生輯要』第3巻には“眼目"の項が設けられ、千金方、達生録、本草綱目、寿養叢書等々に記載されている目についての養生説が多数集められている。

 

 また、『大和本草J(貝原益軒編集、正徳5年刊行)第3巻水類の項には“塩"が目に有効であることを次のように述べている。

「毎朝塩ヲ上下ノ歯并齦ニスリヌリ温湯ヲ含テ嗽ク事数十遍、其間二手卜面ヲ洗ヒ磁碗ノ上二馬尾篩ヲ置テ含タル湯ヲ飾ノ内二吐出シ碗中二漉入テ其湯ヲ以目ヲ洗フコト左右各十度二十度其後淡湯ニテ口ト目ヲスゝクベシ。毎朝如此スレバ牙歯固クシテ不脱到老無目疾、夜見細字、又毎夜煎茶二塩ヲ加へ口ヲスゝク事数十遍ナルベシ……」

 

 かように貝原篤信は自ら読書によって得た知識を諸書に記述している。『養生訓』においては眼病に罹る前に、 まず目の衛生、保養を考え、そのために塩の効用を説いているように思われる。これらの諸説が今日のわれわれの日常生活にすべて当てはまるものではないが、益軒は早くより目の衛生、養生を重視し、眼疾の予防の知識を広めていたことは誠に偉大である。

 

 貝原益軒は名を篤信、字を子誠、通称久兵衛、初め損軒と号し、後に益軒と改めた。寛永7年(1630)11月、福岡の城内東邸の黒田候に仕える右筆家、父利貞の5番目の子として生れた。幼いときから物覚えがよく、生涯好んで書を著し、道徳、文学、政治、経済、家政、養生、農業などにわたり、『頤生輯要』『養生訓』『大和本尊』『自娯集』など二百数十巻の書籍を数えるという。正徳4年(1714)8月27日85歳の生涯を遂げた。

 

 

 

主な参考文献

1) 竹田定直:益軒先生銓定頤生輯要.永田調兵衛板, 1714

2) 貝原篤信:大和本草.永田調兵衛板, 1761

3) 佐村八良:国書解題.古川弘文館, 1909

4) 竹岡友三:医家人名辞書.南江堂, 1931

5) 森 銑三:おらんだ正月.冨山房, 1939

6) 平凡社:大百科事典.平凡社, 1939

7) 坂本太郎:日本史小辞典.山川出版社, 1958

8) 酒井シヅ:貝原益軒と『養生訓』(その1). 日本放送協会, 2003

 

 

図1 貝原益軒(篤信):編録『養生訓』(正徳3年版)

 

 

図2 同書 巻一巻頭

 

 

図3 同書 巻八巻尾

 

 

図4 貝原益軒:編述『大和本草』叙(宝暦11年版)

 

 

図5 竹田定直:編次『頤生輯要』(正徳4年版)

 

 

斎藤、中泉、中泉 2004