研医会通信  221号 

 2023.9.29
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研医会図書館は近現代の眼科医書と医学関連の古い書物を所蔵する図書館です。
この研医会通信では、当館所蔵の資料をご紹介いたします。
5月からは『臨床眼科』の記事から離れて、いろいろな資料をご紹介しています。

今回は 『物類品隲』(ぶつるいひんしつ)です。

 

     

                             図1 『物類品隲』 平賀國倫(源内) 著

 

 

『物類品隲』

 

 研医会図書館所蔵の『物類品隲』巻之一の巻頭には、「藍水田村先生 鑑定/讃岐 鳩渓 平賀國倫 編輯/東都 田村善之・中川鱗・信濃 青山茂恂 同校」とあります。おおもとの鑑定は田村藍水がなし、それを平賀源内が編集し、田村藍水の長男・善之らが校正したとわかります。

 

 田村藍水(1718-1776)は、坂上登(さかのうえのぼり)、元雄(げんゆう)、玄台とも名乗り、19歳のころ、八代将軍吉宗から朝鮮人参を与えられて、この種を取ることに成功した人物で、その後も朝鮮人参の研究をつづけました。寛延元年 (1748)には、その成果をまとめた『人参耕作記』序刊 一冊を出し(藍水30歳)、さらに後の明和4年(1767)『参製秘録』も著して全国に朝鮮人参の栽培法とその加工技術を広めました。江戸における博物誌の流れは、この藍水に始まるとも言われる人で、弟子の平賀源内とともに、日本初の薬品会を宝暦7年 (1757) に江戸湯島で開催します(藍水39歳)。町医でありましたが、宝暦13年(1763)からは幕府に仕えます。大坂の木村蒹葭堂(1736―1802)とも交流があり(藍水より18歳年下)、本草学・博物学は長崎から大坂、名古屋そして江戸へと日本全国へ広がり、薬品会もまた各地で開催されるようになります。

 

 ネット上では『物類品隲』は平賀源内の著作として紹介されているページが多いように思われますが、福田安典氏は著書『平賀源内の研究 大坂編』の中で「すでに兼葭堂や旭山らが作り上げていた上方の本草学のグループに、後から源内が割り込んできて、いつの間にやらそのグループの鼻っ面を引き回そうとし始めた」のが真相ではないか、と書いています。国元の讃岐では俳諧の集まりの中で有名になっていた源内という人を想像すると、そうした可能性は高いとも思われます。源内が大坂で医学修行をした時の師は戸田旭山(1696-1769)で、その戸田旭山のことを同胞とまで思っていた木村兼葭堂がいたことを考えると、源内が彼らに対して憧れて、同じような活動を江戸でしたのかもしれないと想像できます。

 

 所蔵の『物類品隲』は巻一が水・土・金・玉の部、巻二が石部。巻三が草部。巻四が穀・菜・果・木・蟲・鱗・介(貝)・獣の部。巻五は図絵。巻六は附録として人参培養法と甘薯培養ならびに製造法が収載されています。巻五の図絵の最初には朝鮮人参の初生から結実までの4つの図があり、田村藍水の研究の成果が示されています。植物図には、漢種、蛮種、琉球産、蝦夷種と、遠い産地からきた植物も描かれ、江戸時代の人々の旺盛な知識欲を感じます。最後の石芝のページには「東都 楠本雪渓 図」と書かれています。巻六の巻末には申椒堂という本屋の宣伝が載っています。『六體千字文』や銭氏『小児方訣』に続いて其角と芭蕉の本も紹介されていて、俳諧の世界にも浸かっていた平賀源内の著作物に似つかわしいことになっています。砂糖の製造法を示す図に「鳩谿山人自画」とするあたり、何とか師の田村藍水らに並び立とうとしている源内の気持ちが伝わる本です。

 

 

     図2  同本 「草部」目次1  

 

      図3  「草部」目次2

 

     図4  「草部」目次3

 

         図5  同本 巻五の植物図 漢種、琉球産とある。

 

         図6  同本 「鳩渓山人自画」とあり、平賀源内の描いたもの。