研医会通信  153号 

 

 2018.2.16
研医会トップ 研医会図書館眼科
漢方科交通案内法人情報
 

 

研医会図書館は近現代の眼科医書と東洋医学の古医書を所蔵する図書館です。
この研医会通信では、当館所蔵の古医書をご紹介いたします。

今回は 『眼科学 講筵筆記』 (浅山郁次郎先生 講述)です。

『眼科学 講筵筆記』 (浅山郁次郎先生 講述)

 

 明治初年から同20年代にかけては、東京大学を始め、地方の私塾や医学校において、外国人教師や日本人留学生帰国者による講義が行なわれたが、それら講義の医学生筆記類がいろいろ伝えられている。

 明治期の医学生ノートの研究については、先輩諸先生の詳しい報告があるが、 ここに掲出のものは明治25~6年頃の京都府立医学校における浅山郁次郎教諭の眼科学講義をその生徒、森川信吉氏、菊池彦一氏がそれぞれ筆記したとみられる2種類である。

 その1つは
京都府療病院眼科部長兼京都府立医学校教諭医学士
浅山郁次郎先生講述
眼科学講筵筆記
三学年生 前後期 森川信吉 筆記
と記載されるもので、明治26年4月6日より同年10月4日までの講義をしるしたものとしている。つまり、京都府立医学校における浅山郁次郎教諭の眼科学講義を、その頃医学校生徒の森川信吉氏が受講し筆記したものと思われる。

 浅山郁次郎(1861~1915)氏は文久元年(1861)、江州(現滋賀県)膳所の藩士の子として、江戸藩邸に生れ、明治17年(1884)東京大学を卒業すると直ちに京都府立医科大学の前前身である京都府立医学校の1等教諭兼眼科部長として就任し、教鞭をとり、明治31年(1898)6月より同34年(1901)1月までヨーロッパに留学、蹄国(明治34年2月)後、京都帝国大学助教授となり、翌35年(1902)1月同大学の教授に就任した。森川信吉氏は京都府立医学校の第18回(明治28年)卒業生であって、浅山教諭の講義を熱心に聴かれたものと思われる。

 本書は前編(109葉)、後編(82葉)全2冊(23.5×16 cm)ょりなり、摺用箋(四周双辺、無界)に片仮名漢字交りの和文で筆記し、文中および上部欄内に挿絵を描いている。前編に総論、曲光桟、眼底、虹彩、水晶体、脈絡膜、網膜を、後編に硝子体、眼瞼、結膜、角膜、涙嚢、運動筋等を記載している。

 その2は
眼科学 浅山郁次郎先生口授 菊池彦一筆記
と識されたもので、 これは京都府立医学校における浅山郁次郎教諭の眼科学講義を、その生徒菊池彦一(革嶋彦一、?、京都、京都府立医学校、第19回卒業、明治29年)氏が受講した時の筆記と思われる。

 この眼科書は巻1(70葉)、巻2(52葉)全2冊(24×16 cm)ょりなり、和綴で和紙に細字で片仮名漢字を交え、挿絵も入れて書いたもので、朱入本である。

 内容は巻1に屈折器及調節器、近視、遠視、乱視、老視、弱視、色覚、検眼鏡、視神経疾患、網膜疾患、水晶体疾患、巻2に硝子体、眼瞼、結膜、角膜、撃膜、涙器、眼筋および眼宮等各疾患について記載されている。記載は各疾患の原因、経過、診断、療法、予防、徴候、預後、手術式、解剖適応等におよんでいて、掲出本のその1、その2はほぼ同様の講義内容となっている。したがってこれらのノートは同年代に行なわれた浅山教諭の講義と考えられる。

 これら医学生の講義ノートにより、明治20年代の京都府立医学校における浅山郁次郎教諭の眼科学講義のごく1部分であるが窺い知ることができる。その眼科学は浅山教諭が東京大学において学んだシュルツェ(Wilhelm Schultze、1840~1924)氏等の眼科を基にして行なわれたものと思われる。浅山教諭の講義は紙片を片手にもつだけで明快なものであったといわれ、堅実な学風と謹直な人格は今日なお、その教室に荘重な伝統を加えている(『京都府立医大八十年史』)。

 今日、 こうした明治初期の医学生ノート類は当時の眼科学水準や医育状況を知る上で大切な資料となっている。

 

主な参考文献


京都府立医学専門学校:京都府立医学専門学校沿革略史、京都、1908
福島義一:日本眼科史、 日本眼科全書、巻1:眼科史 金原出版、東京、1954
京都府立医科大学:京都府立医科大学八十年史、京都、1955

 

 

  図1 眼科学講筵筆記 表紙   

     浅山郁次郎先生 講述 森川信吉 筆記

 

   図2  図1同書前編 扉

  

   図3  図1同書 前編 冒頭

 

 

   図4  眼科学 表紙 

     浅山郁次郎先生 口授  菊池彦一 筆記

  

   図5  図4同書 巻1 巻頭

  

  図6  図4同書 検眼鏡の部

 

 

 

中泉、中泉、斎藤 1991